タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / いつからそこに、そうして、そのままあるのか。冷たい風が通り抜けるたび鋭い音がする。
海景 21-005 河口にて
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 今年はまともに海へ行けなかった。あまりに長く海から遠ざかっていると、いったい何をどうしたくて海を撮影していたのかわからなくなってしまった。困った話ではあるけれど、そうやってリセットするのも悪くないと知った。
標本 2021-01
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 2019年12月、私は房総半島南部から九十九里、銚子を行き来しながら撮影をしていた。2020年12月、花を撮影しているさなかに父の死を知る。2021年12月、導かれるままに箱の中の花を撮影した。
重力 熟柿 2021004
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 柿が出回る季節はほんとうに短い。こんなことにいい歳になって気付く。以前から気付いていたのかもしれないが意識の順位があまりに低かったのだろう。私は熟柿が嫌いだ。しかし、その存在は悪くないと感じる。この柿は耐えている。
空 2021-01
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / この世界に父がいなくなって一年になった。もしかしたら、この世界にいたことが稀なるできごとで、その偶然に私が連なっているだけなのかもしれない。そう考えるほかない。
重力 野菜 2021003
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 写真はスクワッシュのはずだ。もしかしたらペポカボチャかもしれない。かぼちゃはパンプキンではなくスクワッシュだと言われる。パンプキンとはスクワッシュと双璧をなすサマー・スクワッシュとかペポカボチャのなかの一部と言われたり、そうではなくウインター・スクワッシュであると定義されている。結局、誰もわかっていないのかもしれない。日本では「西洋カボチャ」「日本カボチャ」「ペポカボチャ」。産地主義で西洋カボチャ。武者小路実篤が描くような日本カボチャはトロピカル・スクワッシュ。ペポカボチャはサマー・スクワッシュ。
重力 野菜 2021002
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 今年、最後の冬瓜を食べる。夏はとっくに終わっている。
ハナ 2021-025 ハナミズキ
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / いつ頃合いがくるかと見守っているうちに赤い実が一つ二つと落ちて行き、もうこれまでと慌てて撮影した。今年は秋の過ぎるのが早い。さみしささえ感じる。
重力 柘榴 黒と赤 2021002
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 質量と色彩の重力を柘榴に見る。コロナ禍は2年目になり季節のうつろいが曖昧なまま夏が終わり秋を迎えた。4年前の秋、イスラムの聖職者が我が家にやってきて「柘榴をもらえないか」と言った。私はレジ袋いっぱい果実をとって「甘くないですよ」と手渡した。それから一度も彼の姿を見かけない。あれほど大きな果実が実ったのも、その年だけだった。
重力 野菜 2021001
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 全ての物体は引力で互いに引き合っている。キャベツもまた例外ではない
海景 21-004 ひたすら現在
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / とくに意味があるわけでも、いつものように販売するつもりもない写真。砂浜に海からまっすぐ陽がさしている。いつ誰が落としたとも知れないサングラスがある。ただ、ひたすら現在。
ハナ 2021-024 Eryngium
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / コロナ禍にあって、さまざまな習慣が消え、また生まれもした。あきらかに世界が変わったし、私も変わった。花を見る目も変わっている。あとどれくらい私は変われるだろうか。
ハナ 2021-023 キノハナ
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / これだけで木の花は機能している。花とは何か、ここに本質がある。力強い答えがある。すべてがここからはじまった、キノハナ。
ハナ 2021-022 アザミ
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / どのような花でも、ひとたび関わりが生じると無碍に扱うことができなくなる。撮影は、人を撮影するのと変わりない。棘のある姿に似ず、アザミは敏感で繊細だ。水揚げに失敗して撮影中に生気を失ってくるのを見るときほどつらいものはない。
海景 21-003 この先へ
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / この先はいつも存在している。明るい将来か否か、進みたいか否か問わず。そして進む気がなく留まっていようとしても、否応なく「この先」へ押し出される。停滞という時間も、延々続く「この先」である。
ハナ 2021-021 Tulip
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 3時間後、最初の一枚が散り、翌日花びらは全開になり戻らなくなった。花が終わるまで見届ける。痛々しいまでに美しかった。
ハナ 2021-020 ハナミズキ
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / ハナミズキの花を正面から見ることはまずない。そして下側からまじまじと見上げることもない。そして白いハナミズキの花に紅色の点があるのに気づいている人は少ない。ハナミズキの色気に気づいている人もまた少ない。
ハナ 2021-019 ハナミズキ
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / ハナミズキは珍しくない花木なのに、ちゃんと花を見たことがある人はあまりに少ない。そして花芯が見える側を正面とするなら、ハナミズキの花を正面から見ることはまずない。私は数年間撮影しつづけて、ようやくハナミズキとは何かわかりはじめた。
海景 21-002 Milvusと冷たい空
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / この撮影のあと父の死と、その後のさまざまなできごとがあり同地の写真を発表する気になれないまま四ヶ月が過ぎた。昨年からの新型コロナ肺炎蔓延によって、海の撮影そのものができないまま四ヶ月だ。ふと思う、このトビはどうしているのか。春の陽を浴びて空を飛べているか。
ハナ 2021-018 Tulip
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 残酷だとは思わない。枯れてからもチューリップが美しいのを私が知っていて、球根から芽吹き、開花へ、そして最期まで眺め続けているだけだ。若いから最盛期で美しいとは限らない。
ハナ 2021-017 Tulip
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 三日目、花びらのゆるみ加減、首のかしげ加減に表情が現れはじめた。いつもと違うものが始まりつつあるのを感じ、チューリップに舞台を用意した。
ハナ 2021-016 Tulip
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 花びらのフリンジが面白いと思い球根を植えた。花が咲き、フリンジの面白さを撮影しようとした。そのポーズは違うとチューリップに指摘されたような気がして、花が勧める構図に変えた。
ハナ 2021-015 Tulip
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / チューリップを花瓶にいけて変化を観察し続ける。花だけでなく葉も茎も日々様子が変わる。人と、その人の年月を思う。やがて散る間際に壮絶なまでに美しい姿になる。
ハナ 2021-013〜14 Tulip
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / チューリップは幼い花、咲き誇る花の美しさもさることながら花の命の終わりの瀬戸際に別次元の美しさになる。散り際の、風が吹いただけでも花びらが散るこのときもっとも美しいかもしれない。突き抜けた美がある。
ハナ 2021-012 Dahlia
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 紅白のダリアは他の作品も公開する予定です。
海景 21-001 精神的な入り江
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / そこへ行っても見るべきものはないだろうと何年も足を向けなかった入江だ。抜け道を探すうちいつの間にかここにいた。太陽がぐっと位置を変えるまで眺め続けた。
ハナ 2021-006〜011 Tulip
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 006から011番までを紹介しています。この連番はこのカラー作品のほかモノクローム作品があります。東日本大震災以後を取材した作品をすべて取り下げた後の私なりの10年めの鎮魂の意を込めた連作です。
ハナ 2021-006〜011 Tulip monochrome
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 006から011番までを紹介しています。この連番はモノクローム作品とカラー作品があります。東日本大震災から現在までを私なりに受け止め整理して、どうしても片付けられない気持ちから生じた連作です。
ハナ 2021-006 Tulip
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 今年は数週間前からチューリップの撮影をはじめた。撮影しながら10年目の3月11日を思い出したのは光が春めいてきたからに違いない。あの日、ひなたは暖かく窓から差し込む日差しにはかすかなまぶしさがあった。花瓶に赤いチューリップが一輪咲いていた。
ハナ 2021-005 Knautia-arvensis
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / ザ・ロネッツ、ザ・シュープリームス、スリー・ディグリーズといった女性グループを思い浮かべた。正確には舞台上の架空の三人の姿を見ていた。何か手を加えようとしたし、実際に試みたけれど、ただただこのままでいいと全てを戻した。そのほうがきっとよいはずだ。
ハナ 2021-004 Dahlia
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / ダリアの花が花屋の店頭にあると、どうしても買わずにいられなくなる。そして家に帰りまじまじと見つめて頭を抱える。溢れるばかりの豪奢さと、釣り合わない部屋であり私だ。
ハナ 2021-003 Amaryllis
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / アマリリスを買ってきたとき、あまりに小さい蕾は開花しないまま枯れるだろうと思った。このとき咲いて花がいつまでたっても勢いが衰えず、気がつくと蕾が日々成長しているのだった。ある日、咲いていた花がいきなり枯れはじめ、つぼみがほころびはじめた。そして堂々と咲いた。
ハナ 2021-002 Amaryllis
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / アマリリスの花には、何者も否定できそうにない堂々たる美しさの標準のごときものがある。これはユリにも言えるが、アマリリスはあまりにも茎が太い。屋外から室内へ場所を移したとき、アマリリスの茎の太さと美の、花の美しさの標準のごとき花との間に矛盾または対立が生じる。だが、矛盾または対立に緊張感を見出して花の姿に向かうのがアマリリスの醍醐味だろう。
ハナ 2021-001 Gerbera
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 精一杯だった。いまできる唯一のこと。それがガーベラの撮影だった。
2021年新しい年に
新しい年が巡ってきました。それなりに難しく、どうしたらよいか解決策が見当たらない困難さをどうしても感じざるを得ません。 みなさんへのご挨拶が遅くなったのは、こうした新型コロナ肺炎のつらい局面があっただけでなく、昨年末から […]
砂景 20-014 ハイウェイ
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
海景 20-045 漁具倉庫
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
潮風で板が釘が掛け金が痛んでいる。漁具倉庫がつくられて、たぶん四、五十年は経っているように思われ、私の年齢を考えれば衰え具合は妥当なのかもしれない。
島の北岸にある[…]
海景 20-044 凪
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / どこに腰を落ち着け暮らすか無頓着ではいられない。どこでもよいと言う人はいるが、それでも交通の便や地形など比較して住処を決めているはずだ。しかし住み暮らす場所を決めるのはなかなかにむづかしく理想通りにならないのは誰もが経験している。私もまた現実に突き返されつつ居住地を決めて現在に至っている[…]
海景 20-043 Winter Light
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
平和はそこにあるものではなく、探して見つけ出さなければ存在しないものと気づくのにいったい何年かかったのだろう。
海景 20-042 冬の海
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
静けさが海を支配していた。誰もいない。くる気配すらない。焚き火のあとが晩夏の痕跡として磯から続く小さな浜にあるばかりだった。外海を岩礁が隔てた内側はどこまでも澄み切った水が輝いていた。
いつからこんなに関東の磯はきれいになったのだろう。公害という言葉とヘドロやスモッグの禍々しさを子供のとき刷り込まれた私は、大人になってもどんなに美しい海水を見ても疑いの念を払拭できずにいた。そして思う、いま[…]
海景 20-041 赤い水 (Coloured rock pool water)
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
何年間も訪れることがなかった岩礁へ行ってみると、ふるびた灯台が撤去され、撤去されるとき重機が入ったかして自然が整理されたような風情になっていた。釣り人さえいない磯で月面をたった一人で歩いているような、もう二度とどこへも戻れないような気分になった。そこに錆びとも油とも見える赤い水が鏡のように朝の光を反射していた[…]
海景 20-040 悲しみの速度
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
砂の浜は刻々と姿を変え一ヶ月、一年と月日が経つとおおきく様変わりしてまるではじめて訪れた場所のように見えることさえある。吹き寄せられた砂で埋まり姿を消すものがあるいっぽう、砂が吹き飛ばされ姿を現すものもある。砂の起伏が地形すら変えて記憶と一致するものを探すだけで精一杯になる。
九十九里は屏風ケ浦が侵食され土砂が砂となって流れ着いて広大な砂浜をかたちづくった。一年で50cmから1m[…]
海景 20-039 8:00 a.m.
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
どこから見ても展望台の姿をした展望台に登るのは、用意された意図にまんまと乗せられる恥ずかしさを感じ、こんなものは自意識過剰であるとわかっていてもためらいを吹っ切ることができなかった。こうしていったい何年経過しただろうか。
遡れば、はじめて九十九里へやってきて、その後の私の写真を決定づけたモデルさんを[…]
海景 20-038 時間
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
子供だった私は大学生の自分、それより大人の自分を想像することができても、思い描いたのは年齢なりの図体であったり、どこかで見聞きした上の世代の様子だった。もちろん当の本人は気づきもしないし、これは大学生になった私が想像する30代、30代になった私が想像する50代であっても変わりない。
私自身の成長や成熟、老いといった変化だけでも想像するのは困難なのに世の中との関わりによってどう人生が揺さぶられるかなどわかるはずがないのだった。そしてむしろ[…]
海景 20-037 陸風
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます /
暑い秋から一転して肌寒い日が続いたが、ふたたび11月とは思えない暖かさになった。未明に家を出る際、それでも寒いのではないかともう一枚厚手の上着を車に積んだ。しかし夜明け前でさえ、そんなものは必要なかった。海辺はほとんどいつもどおりだったが、漁協の軽トラックの行き来が忙しく感じられた。いまから思えば、あれは九十九里に打ち上げられた大量のハマグリを海へ戻すなどするためだったのだろう[…]