七歳、新潟、砂の記憶 19-004

七歳、新潟、砂の記憶 19-004

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ どこでもない、いつでもない。なんて真顔で言えば正気ではないと思われるに違いない。どこでもない場所をこれといった目的もなく歩く自由がないなんて悲しい。賢いふりをするため、場所の名前、意味、区分けばかり考えて不自由きわまりない自縄自縛になるくらいなら馬鹿なままのほうがよっぽどよいだろう。私はどこでもない場所を目指す。私は見たいものを見たいように見る。

七歳、新潟、砂の記憶 19-003

七歳、新潟、砂の記憶 19-003

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 漂着物なのか元からここにあったのか。ボトルの表面は磨りガラス状に摩滅していた。まさか私が小学生だった時代からここにあったのではないだろうが、ボトルとしての役目を終えてから数十年経過していたとしても不思議ではない。ずっとそばにいてやりたい気がした。陰までも愛おしい。

七歳、新潟、砂の記憶 19-002

七歳、新潟、砂の記憶 19-002

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/海へまっすぐ続く道はずっと上り坂だった。坂を上った先に海があるというのも不思議な話で、あの頃は疑問をいだかなったが他にあまり例のない地形と言える。新潟とは新しい潟の意であり、潟は砂州などで囲まれた水たまりあるいは泥濘地のことだ。海水ならラグーン(lagoon)であるが、こうした泥濘地は水田として利用されていたので真水で満たされていたわけだ。

ハナ 19-004

ハナ 19-004

タイトルクリック先で画像拡大可能です。愛されるばかりの存在として生まれたことは幸福なのか不幸なのか、どうでもよいことなのか。