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砂の浜は刻々と姿を変え一ヶ月、一年と月日が経つとおおきく様変わりしてまるではじめて訪れた場所のように見えることさえある。吹き寄せられた砂で埋まり姿を消すものがあるいっぽう、砂が吹き飛ばされ姿を現すものもある。砂の起伏が地形すら変えて記憶と一致するものを探すだけで精一杯になる。
九十九里は屏風ケ浦が侵食され土砂が砂となって流れ着いて広大な砂浜をかたちづくった。一年で50cmから1m侵食されていた屏風ヶ浦に波消しブロックを置くようになると砂の供給が絶たれ九十九里はやせ細った。見る影もなくなった浜がある。しかし不動堂は豊かな砂の堆積が続いているように見えた。訪れないうちになにもかも変わっていた。
私は途方もない悲しみを感じた。悲しみが急速度で押し寄せてきて、空間を満たし、はるか彼方へ遠ざかって行った。もちろん私の感情がおかしな反応をしたのはわかっている。すくなくとも私にとって砂と砂で満たされた空間は尋常ではない感情を生じさせる触媒になる。幾度か書きもし話もしたが、砂は時間そのものを示しているように思われるのだ。
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