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子供だった私は大学生の自分、それより大人の自分を想像することができても、思い描いたのは年齢なりの図体であったり、どこかで見聞きした上の世代の様子だった。もちろん当の本人は気づきもしないし、これは大学生になった私が想像する30代、30代になった私が想像する50代であっても変わりない。
私自身の成長や成熟、老いといった変化だけでも想像するのは困難なのに世の中との関わりによってどう人生が揺さぶられるかなどわかるはずがないのだった。そしてむしろ後者のほうが将来というものの本質ではないだろうか。
私は砂浜にいる若い人の後ろ姿を見ていた。視界の右隅に孫のような年齢の子供を抱いた老人の姿があった。互いに、互いの存在を確かめる一瞬があった。若い人は何を思ったのだろう。
私は時間について痛みに似た感覚がしばらく続いた。
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