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鴎(かもめ)と鳶(とび)。どちらも海辺でよく出会う。鴎に一羽ずつ体型や色柄の違いがあり、たぶん個性と呼べるものもあるのはわかるが鳶の在りようとは比べようもない。防砂柵のうえに佇んでいるだけでも、円を描いて空を滑空しているときも鳶は今この時以外の何かを考えているように見える。
それを哲学とするのは大げさすぎるとわかっているが精神性と言えそうなものが鳶を鳶たる存在にしている。
それにしても今年は鳶と縁がある年のようだ。いつもとは言わないが、海辺へ撮影に行き被写体を求めて歩いていると至近距離に鳶がいる。頭のうえを飛んでいることもあったが、視線を送ったほんの先に鳶が留まっていて近づくことができた。ほんの間近に鳶がいるだけでも稀だろうに、近づけるなんてめったにないはずだ。こうして鳶について思うことが多くなった。
鳶を撮ろうか。いままで考えすらしなかったことを思った。ところがこうなると縁がある鳶がなかなか思うように画角に入らないのだった。ここがまた鴎と大いに違う。だからなおさら鳶の哲学というものを信じたくなる。初対面の人へ話しかけるまでのように、節度をもって近づくように、「あの」と声を出すときのように私は鳶を撮影した。
そして気づいた。鳶はMilvus、撮影したレンズの銘もZeissのMilvus。ほんとうにつまらないことだけど、私は少しわらった。なんだ鳶はいつも私と一緒だったではないかと。
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