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どこから見ても展望台の姿をした展望台に登るのは、用意された意図にまんまと乗せられる恥ずかしさを感じ、こんなものは自意識過剰であるとわかっていてもためらいを吹っ切ることができなかった。こうしていったい何年経過しただろうか。
遡れば、はじめて九十九里へやってきて、その後の私の写真を決定づけたモデルさんを[…]
展示・撮影・販売
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どこから見ても展望台の姿をした展望台に登るのは、用意された意図にまんまと乗せられる恥ずかしさを感じ、こんなものは自意識過剰であるとわかっていてもためらいを吹っ切ることができなかった。こうしていったい何年経過しただろうか。
遡れば、はじめて九十九里へやってきて、その後の私の写真を決定づけたモデルさんを[…]
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子供だった私は大学生の自分、それより大人の自分を想像することができても、思い描いたのは年齢なりの図体であったり、どこかで見聞きした上の世代の様子だった。もちろん当の本人は気づきもしないし、これは大学生になった私が想像する30代、30代になった私が想像する50代であっても変わりない。
私自身の成長や成熟、老いといった変化だけでも想像するのは困難なのに世の中との関わりによってどう人生が揺さぶられるかなどわかるはずがないのだった。そしてむしろ[…]
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暑い秋から一転して肌寒い日が続いたが、ふたたび11月とは思えない暖かさになった。未明に家を出る際、それでも寒いのではないかともう一枚厚手の上着を車に積んだ。しかし夜明け前でさえ、そんなものは必要なかった。海辺はほとんどいつもどおりだったが、漁協の軽トラックの行き来が忙しく感じられた。いまから思えば、あれは九十九里に打ち上げられた大量のハマグリを海へ戻すなどするためだったのだろう[…]
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鴎(かもめ)と鳶(とび)。どちらも海辺でよく出会う。[…]鳶を撮ろうか。いままで考えすらしなかったことを思った。[…]そして気づいた。鳶はMilvus[…]
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 海へ続く道をギター片手に歩いてきた男が、ゆっくり砂の山をのぼった。彼は海へ向かって自作の曲を歌った。ずっと歌っていた。
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 私が知っている海とは別の海を彼は見ていた。同じ海を前にして、なにもかも違う風景を見ていた。
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 冬がはじまろとしている光だった。撮影すべきものを見つけられず落胆していた。そのときジョルジョ・デ・キリコ描くところの人物が、砂山の向こうから現れるような気がした。神が配置したような構成が目の前にあった。
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / できごとはどれも過ぎ去った過去だ。刻々と過去が堆積して行く。みんな終わった話だ。
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 微かな色があるところに光がある。光を追っていると新しい色との出会いがある。この浜のかすかに錆色をした砂と植物の緑と黄色と、漂着物の白さ、海は青から緑のグラデーションを描く。空は群青を薄めて、どこまでも薄めた色をしていた。
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 人それぞれの朝があり、一日があるのを見てほっとしている私がいた。ここでは誰も他人を責めていない。
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 戯れだったとしても誰かの意図が働いている。でも私にとって出会いは偶然であり、この光景をかたちづくるすべてが偶然の産物だ。では私がここにいるのは必然なのか、どうか。
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