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どこでもない、いつでもない。なんて真顔で言えば正気ではないと思われるに違いない。
どこでもない場所をこれといった目的もなく歩く自由がないなんて悲しい。賢いふりをするため、場所の名前、意味、区分けばかり考えて不自由きわまりない自縄自縛になるくらいなら馬鹿なままのほうがよっぽどよいだろう。
私はどこでもない場所を目指す。私は見たいものを見たいように見る。
これは私の皮膚の内側いっぱい身体を満たしている風景だ。七歳の春に見た風景だ。
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