Past Light 20-013 日暮れる鹿島灘

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 北からずっと南下して、ここにたどり着いたのは夕暮れ近い時刻だった。あと少し車を走らせたら銚子だが、鹿島灘は利根川以西とは違う海の色、空の色をしている。なにもかも違う。水平線のうえに赤い色がさしていた。

Past Light 20-012 朝焼けの荒ぶる海

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 2018年4月11日が、こんなに荒天だった理由を思い出せないし、そんな日に海へ出かけた動機も忘れてしまった。だけど朝焼けの荒ぶる海を見たこと、激しい飛砂と飛沫で顔が痛かったことははっきり憶えている。私がいなくなれば記憶なんてものと関係なく写真だけが残る、その日、その朝の海だ。

Past Light 20-011 曇天と太陽

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 早朝から移動をはじめて岬に入って時を過ごし、また海沿いの道に車を走らせた。それはとても長い時間だった。私は木漏れ日というものを久しく撮影していないとか、滝とか沢とかについて思いつくままに考えながら車を運転した。いつしか厚い雲が空を覆っていた。

Past Light 20-009 浄土

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / とりたてて知られた場所ではないし、行き着くのが格別にむつかしいわけでもない海辺に、私は浄土を見た。浄土とは、そういうものかと思い安堵したが疑いも残る。この疑いが浄土から私を遠ざける。

海景 20-002 結界と海景

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 旗竿をくくりつける柱が、世界の意味を区切っている。旗を立てるためにあるのは知っている。だが用途なんてどうでもいいくらいに、こちちとあちらを分けている。

海景 20-001 何気ない海景

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ とりたてて何事もなく、何事も起こっていないようにすら感じる退屈を真の幸福と呼ぶべきかもしれない。いまこのとき悲惨や幻滅や堕落や破滅が始まりつつあり、何かが音を立てて崩れているのは確かだが、私の目の前にある幸福を幸福と思うほかないではないか。

海景 2019-003*004

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ ここから先、その先、ずっと先へ。ここまで、その手前、ずっと手前まで。あきらかに違う世界と世界が接し合う領域を前にして、私は目を凝らす。まだ次の世界へは行けない。しかし、確実にいつかそちらへ行く。このように宣言しておく。

惑星と文明 19-026 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ サーフィンはポリネシア人によってはじめれたと言われる。日本に古くから瀬のし、板子乗りなどと呼ばれる波乗り遊びがあったので、海洋民族に共通する風俗なのかもしれない。ポリネシアに到達した宣教師たちは、人々の風習……

惑星と文明 19-022 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / どこから来たのか。どこへ行くのか。私は彼を見ている。どこから来たのか。どこへ行くのか。張り渡された電線を見ている。何のために。誰のために。どうして。私は世界の前に立ち尽くす。

具象を拒絶する海景 19-003

生まれるまえの人生で見た場所だ。この浜に私は舟を寄せ八洲に上陸した。A3(近似)額装なし。 詳細ORIGINAL PRINT🔗をご覧ください。5,000 +消費税 © Fumihiro Kato / Unauthorized copying and replication of the contents of this site, text and images are strictly prohibited. All Rights Reserved.

海景 2018 -1

サムネイルはトリミングされています。全画像をご覧になるにはベージタイトルをクリックしてください。本文ページはノートリミング画像が表示されています。 Fumihiro Kato.  © 2018 – Unaut […]

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る