タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 岩礁のうえで真夏の太陽に焼かれる。
Past Light 20-015 夏が終わる
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 暑さとか、日差しとか関係なく、夏が終わろうとしていた。汗をかいてシャワーを浴びても、もうそこに真夏はなかった。
Past Light 20-014 穏やかな磯から続く海景
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 偶然や気まぐれだとして、なぜここまで完璧な配列になるのか。偶然や気まぐれだからなのか。
Past Light 20-013 日暮れる鹿島灘
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 北からずっと南下して、ここにたどり着いたのは夕暮れ近い時刻だった。あと少し車を走らせたら銚子だが、鹿島灘は利根川以西とは違う海の色、空の色をしている。なにもかも違う。水平線のうえに赤い色がさしていた。
ハナ 2020-032 Gladiolus #2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 撮影しながら、現像しながら、特別なことをしていないのに赤い花の赤さが飽和しているのに気づいた。これ以上の赤さを表現できない状態が飽和だ。なぜ、そこまで赤いのか。
ハナ 2020-031 Pincushion #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 田園を歩いた。水田を見ると8月だというのに稲はひと月前かと思う姿をしていた。雨ばかり降り、太陽を見ることがなかった7月だった。花屋にならぶピンクッションもまた例年より小さい。
ハナ 2020-030 Calla #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / もう今年はいいだろう、と撮影しないつもりでいてもカラーを手に取ってしまう。新たな発見はもうないだろう、と思いつつ撮影をしていると侮るなと言わんばかりの表情を見せる。
Past Light 20-012 朝焼けの荒ぶる海
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 2018年4月11日が、こんなに荒天だった理由を思い出せないし、そんな日に海へ出かけた動機も忘れてしまった。だけど朝焼けの荒ぶる海を見たこと、激しい飛砂と飛沫で顔が痛かったことははっきり憶えている。私がいなくなれば記憶なんてものと関係なく写真だけが残る、その日、その朝の海だ。
ハナ 2020-030 Gladiolus #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 栽培家が市場へ運び込んだてきたとき、花の赤さに私はたじろいだ。肉眼に赤さが飽和していた。天候不順の夏なのに血のように赤い花が咲いたのだ。
Past Light 20-011 曇天と太陽
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 早朝から移動をはじめて岬に入って時を過ごし、また海沿いの道に車を走らせた。それはとても長い時間だった。私は木漏れ日というものを久しく撮影していないとか、滝とか沢とかについて思いつくままに考えながら車を運転した。いつしか厚い雲が空を覆っていた。
砂景 20-009 Surfer
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / いまの私は疲れていて、とても笑える状態にない。それでも創らなくてはと思う。このサーファーが海を目指していたように。
Past Light 20-010 音のないリズム
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 世界が壊れゆくもの音に耳を覆って光る海だけを見ている。それは、たぶん正しい。正しくなかったとしても、これでいい。
ハナ 2020-029 茶の木
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 2015年9月に撮影した。ずっと梅雨の雨に濡れた茶の木だったと思い込んでいたが、茶の花期は秋から冬なのだからひどい勘違いをしていたことになる。梅雨ではなく秋雨だったのだ。茶の木はあんがいいたるところに自生している。
惑星と文明 20-006 ひどい天気と深すぎる砂
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / はるか遠くに何かが見えて、それが人の手がつくりあげた文明であるなら、なにもないよりよっぽどましだ。砂を歩くとき自分と他人の境界に敏感になる。
Past Light 20-009 浄土
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / とりたてて知られた場所ではないし、行き着くのが格別にむつかしいわけでもない海辺に、私は浄土を見た。浄土とは、そういうものかと思い安堵したが疑いも残る。この疑いが浄土から私を遠ざける。
砂景 20-008 Surfer
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 男はだまったまま通り過ぎて行った。西の方角をみつめる視線は微動だにしなかった。どこへ行くのか私は知らない。
ハナ 2020-028 Curcuma #1(および個別作A,B)
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / Curcuma=クルクマはアラビア語でウコンを意味する。いかにも熱を好みそうな姿をした花だ。熱帯の花が、それゆえ夏は涼やかに見える。2015年撮影/2020年現像作品化
ハナ 2020-027 芍薬 #3
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 花の姿は環境に大きく左右される。そして刻々と変わる。
Past Light 20-008 力学と砂
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 明るく、どこまで明るくできるか、この暗さの中で。と思いつつ再現像している。曇天の下の砂丘の写真と向き合いながら。
Past Light 20-007 再び問う磯
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / もちろん撮影時に感じるものがあって構図を取り、シャッターを押したが、この写真にはずっと迷いがともなっていた。いま私はとても疲れている。だから見えるものがあり、信じたいものがあって、この磯を再び問う。
ハナ 2020-026 Parsley #2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 被写体となった花をつけた2年目のパセリは撮影のあと更に多数の花芽をつけ、花芽の多さから気づきにくいが今までの葉をほとんど落とした。花が目的を達成したとき枯れるのだ。命はこうして終わる。
ハナ 2020-025 Allium #2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 葱の花、ニラの花は観賞用ではないが、素通りできない存在感と美しさがある。それは洗練と程遠いかもしれないが、洗練と異なるベクトルの美しさというものがある。アリウムは明らかに過剰だ。これを洗練と言えるか私にはわからないが、素通りできない存在感と美しさがある。
2020年作品制作についてのおしらせ(COVID-19関連)
日頃より写真作品および当サイトをご愛顧いただきありがとうございます。 2020年2月から3月にかけ国内で新型コロナウイルス感染症(COVID-19)蔓延が懸念され緊張が高まり、4月7日に7都道府県に緊急事態宣言が発令され […]
ハナ 2020-024 Parsley #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / パセリは二年草で、2年目の初夏に花をつけ、やがて一生を終える。私はパセリを大量に収穫するため栽培しているから知っている。パセリは葉も根も香り高い。皿の隅の飾りとしてのパセリしか知らないとしたらとても不幸なことだ。
ハナ 2020-023 Allium #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / そう子供だった私は、この目線の高さからアリウムを見た。唐突に伸びた茎のてっぺんにネギ坊主そっくりな巨大な花がつく。ニラも似たようものだが、子供の背丈ほどの茎に花の塊が丸くつく様は異様だ。美しいと異様はやはり近似のものだと教えてくれる。
ハナ 2020-022 Lemon #2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 精油を含んだ柑橘類の葉を虫は嫌ってよそさうに思うのだが、レモンに限らず蝶のいも虫に例年相当数の葉が食われてしまいがちだ。たぶんアゲハになるだろうと思われる幼虫が葉を盛んに食い荒らしていたので、殺すに忍びないがレモンの木から取り除いた。命を選択するのは、レモンとアゲハの関係であってもつらいものだ。
ハナ 2020-021 Cactus #2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 自然界に自生している姿をまったく想像できない植物がある。このサボテンもまた群生しているのか点在しているのか、どのように花を咲かせているのか。
ハナ 2020-020 芍薬 #2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 芍薬の難しさは目を惹きつけ目を見張らせる豪奢な花にあり、花に気を取られていると花そのものさえ何ものか把握できなくなるところにある。花そのものさえ把握できないのだから、芍薬という存在は更に見えないのだ。美人と同じだ。
ハナ 2020-019 Lemon #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 昨年の夏、葉を落としはじめ秋にはほぼ丸裸になって枯れたとばかり思っていた。春になって木を引き抜きいて処分しようと準備を進めていたら盛んに新芽を出し、やがて蕾をつけ花を咲かせた。花を咲かせたレモンの木を切り倒し根を掘り返せる訳もなく。
砂景 20-007 国境の近く砂漠の中
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / メキシコ人夫婦は買い物に出かけるような風情で国境を目の前にした砂漠の中にいた。そこに国境があったとしても夫婦にとっては近所なのだろうし、砂漠だからといって異界ではないのかもしれない。日常はかくも多様である。
ハナ 2020-018 Cactus #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 春のある日、とつぜん小さなつぼみがつき、そして咲く。毎年、律儀に開花してくれてありがたい。そして例年、ほぼ同じ数の花をつける。あと何回、私はこの花を見られるのだろうか。
ハナ 2020-017 芍薬 #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 芍薬を撮影するのは何年ぶりだろうか。なかなか難しい花と敬遠していたが店で最後の花束になっているのを見て買い求め撮影した。写真は出会い次第のところがある。
ハナ 2020-016 Crimson Clover #2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 炎の色に似ていると言われる花。私は炎を連想できず血液の色に見える。力強い色だ。
ハナ 2020-015 Crimson Clover #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 冬の終わりに地を這うようにクローバーが芽吹いた。ずっと地表を覆っていたクローバーが、ある日とつぜん空へむかって成長しはじめた。直立する茎は自らがクローバーだったことを忘れたかのようであったし、真紅の花は静脈から溢れる血液に似ている。
ハナ 2020-014 Tulip #5
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 彼女について私は何も知らないに等しいはずだ。チューリップの球根を店頭で選び、植え付け、颱風の日はプランターを部屋に運び込み、育て、咲いたけれど。咲かせたと言えるかどうか。そして彼女について何も知らない。
ハナ 2020-013 Tulip #4
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / この日のために昨年の秋、球根を植え今日まで育ててきた。今年は芽を出したこと、育ったこと、花を咲かせたことをいつもの年より感謝している。この困難な時代に、私はチューリップに世界を見ている。
ハナ 2020-012 Tulip #3
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / なにがどうと敢えて言う必要はないだろうが、遠い場所で遠い景色を撮影できずにいる。2月、私はこうした事態をうっすら想像していた。3月のはじめ、ものごとはよい方向へ向かっているように感じた。だが、そう感じられたのはほんの数日だった。いま花を見て、花を通して遠い世界へ行こうと試みている。花の向こうにある景色を見つけるために。
ハナ 2020-011 Tulip #2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / あのチューリップ型の花はつぼみと大して変わらない。チューリップも他の花のように花びらが開ききったときはじめて開花と呼べるようになる。チューリップを撮影し続けわかったことだ。
ハナ 2020-010 Tulip #1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 2020年はじめてのチューリップだ。球根を植え春を待っていた。例年チューリップを開花させるのはステージに立たせ撮影するには切り花ではだめなのだ。冬に芽生えはじめ、寒さのなか葉を伸ばし、つぼみをつけ、開花し、やがて散りゆくまで見極めなければ撮影できない。
砂景 20-006 越境者と廃ガソリンスタンド
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 「ここまで」と「ここから」が接する場所だ。越えてはならないとされ、越える為には何かを失わなければならないが、 それでも越えようとするのは越えた先で何かを得られる期待ゆえ。欲望と確執が高まる場所だ。
砂景 20-005 風速と光量
突風が去った一瞬の静寂にシャッターを切ると、再び凄まじい砂つぶてが飛んできた。 風の起点はどこなのだろう。光は頭上はるかかなたの太陽から降り注いでいるのだが。
葬送 シジュウカラ 20-2
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / シジュウカラのメスは胸の黒線が細く薄い。シジュウカラを葬った日の翌日、埋めた場所の間近にスピィッ、スピィッと甲高く鳴くオスのシジュウカラがいた。つがいだったのだろう。昨日からずっと探して、妻を見失った場所に戻ってきたのか。オスのシジュウカラが鳴き止むまで、私は撮影した亡骸の柔らかな丸みを目で追うほかなかった。
葬送 シジュウカラ 20-1
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 朝、春とは言えぬ冬でもない明るさのなかシジュウカラの亡骸があった。ガラスを空と見誤ったのだ。鳥を葬るのは、これが三度目だ。 土を深く掘り、横たえ、土をかけ、石を乗せる。なぜ、そうするのか。それは私が人間だから。
惑星と文明 20-005 強風と砂とTの肖像
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 真正面から吹き付ける太く同時に鋭い風にもびくともしない構造物のそばで、なぎ倒されそうになりながら海の方角を見ていた。黒い浜辺のずっと向こうを。
フローラ 20-001 剣山に立つ芽キャベツ
タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 芽キャベツの季節なのだから、もう春だ。なぜかまだ冬であってほしいと思う気持ちはどこからくるのか。