Past Light 20-013 日暮れる鹿島灘

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 北からずっと南下して、ここにたどり着いたのは夕暮れ近い時刻だった。あと少し車を走らせたら銚子だが、鹿島灘は利根川以西とは違う海の色、空の色をしている。なにもかも違う。水平線のうえに赤い色がさしていた。

Past Light 20-012 朝焼けの荒ぶる海

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 2018年4月11日が、こんなに荒天だった理由を思い出せないし、そんな日に海へ出かけた動機も忘れてしまった。だけど朝焼けの荒ぶる海を見たこと、激しい飛砂と飛沫で顔が痛かったことははっきり憶えている。私がいなくなれば記憶なんてものと関係なく写真だけが残る、その日、その朝の海だ。

Past Light 20-011 曇天と太陽

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 早朝から移動をはじめて岬に入って時を過ごし、また海沿いの道に車を走らせた。それはとても長い時間だった。私は木漏れ日というものを久しく撮影していないとか、滝とか沢とかについて思いつくままに考えながら車を運転した。いつしか厚い雲が空を覆っていた。

ハナ 2020-029 茶の木

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 2015年9月に撮影した。ずっと梅雨の雨に濡れた茶の木だったと思い込んでいたが、茶の花期は秋から冬なのだからひどい勘違いをしていたことになる。梅雨ではなく秋雨だったのだ。茶の木はあんがいいたるところに自生している。

Past Light 20-009 浄土

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / とりたてて知られた場所ではないし、行き着くのが格別にむつかしいわけでもない海辺に、私は浄土を見た。浄土とは、そういうものかと思い安堵したが疑いも残る。この疑いが浄土から私を遠ざける。

Past Light 20-007 再び問う磯

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / もちろん撮影時に感じるものがあって構図を取り、シャッターを押したが、この写真にはずっと迷いがともなっていた。いま私はとても疲れている。だから見えるものがあり、信じたいものがあって、この磯を再び問う。

ハナ 2020-025 Allium #2

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 葱の花、ニラの花は観賞用ではないが、素通りできない存在感と美しさがある。それは洗練と程遠いかもしれないが、洗練と異なるベクトルの美しさというものがある。アリウムは明らかに過剰だ。これを洗練と言えるか私にはわからないが、素通りできない存在感と美しさがある。

ハナ 2020-024 Parsley #1

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / パセリは二年草で、2年目の初夏に花をつけ、やがて一生を終える。私はパセリを大量に収穫するため栽培しているから知っている。パセリは葉も根も香り高い。皿の隅の飾りとしてのパセリしか知らないとしたらとても不幸なことだ。

ハナ 2020-023 Allium #1

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / そう子供だった私は、この目線の高さからアリウムを見た。唐突に伸びた茎のてっぺんにネギ坊主そっくりな巨大な花がつく。ニラも似たようものだが、子供の背丈ほどの茎に花の塊が丸くつく様は異様だ。美しいと異様はやはり近似のものだと教えてくれる。

ハナ 2020-022 Lemon #2

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 精油を含んだ柑橘類の葉を虫は嫌ってよそさうに思うのだが、レモンに限らず蝶のいも虫に例年相当数の葉が食われてしまいがちだ。たぶんアゲハになるだろうと思われる幼虫が葉を盛んに食い荒らしていたので、殺すに忍びないがレモンの木から取り除いた。命を選択するのは、レモンとアゲハの関係であってもつらいものだ。

ハナ 2020-020 芍薬 #2

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 芍薬の難しさは目を惹きつけ目を見張らせる豪奢な花にあり、花に気を取られていると花そのものさえ何ものか把握できなくなるところにある。花そのものさえ把握できないのだから、芍薬という存在は更に見えないのだ。美人と同じだ。

ハナ 2020-019 Lemon #1

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 昨年の夏、葉を落としはじめ秋にはほぼ丸裸になって枯れたとばかり思っていた。春になって木を引き抜きいて処分しようと準備を進めていたら盛んに新芽を出し、やがて蕾をつけ花を咲かせた。花を咲かせたレモンの木を切り倒し根を掘り返せる訳もなく。

砂景 20-007 国境の近く砂漠の中

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / メキシコ人夫婦は買い物に出かけるような風情で国境を目の前にした砂漠の中にいた。そこに国境があったとしても夫婦にとっては近所なのだろうし、砂漠だからといって異界ではないのかもしれない。日常はかくも多様である。

ハナ 2020-015 Crimson Clover #1

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 冬の終わりに地を這うようにクローバーが芽吹いた。ずっと地表を覆っていたクローバーが、ある日とつぜん空へむかって成長しはじめた。直立する茎は自らがクローバーだったことを忘れたかのようであったし、真紅の花は静脈から溢れる血液に似ている。

ハナ 2020-014 Tulip #5

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 彼女について私は何も知らないに等しいはずだ。チューリップの球根を店頭で選び、植え付け、颱風の日はプランターを部屋に運び込み、育て、咲いたけれど。咲かせたと言えるかどうか。そして彼女について何も知らない。

ハナ 2020-013 Tulip #4

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / この日のために昨年の秋、球根を植え今日まで育ててきた。今年は芽を出したこと、育ったこと、花を咲かせたことをいつもの年より感謝している。この困難な時代に、私はチューリップに世界を見ている。

ハナ 2020-012 Tulip #3

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / なにがどうと敢えて言う必要はないだろうが、遠い場所で遠い景色を撮影できずにいる。2月、私はこうした事態をうっすら想像していた。3月のはじめ、ものごとはよい方向へ向かっているように感じた。だが、そう感じられたのはほんの数日だった。いま花を見て、花を通して遠い世界へ行こうと試みている。花の向こうにある景色を見つけるために。

ハナ 2020-010 Tulip #1

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 2020年はじめてのチューリップだ。球根を植え春を待っていた。例年チューリップを開花させるのはステージに立たせ撮影するには切り花ではだめなのだ。冬に芽生えはじめ、寒さのなか葉を伸ばし、つぼみをつけ、開花し、やがて散りゆくまで見極めなければ撮影できない。

砂景 20-006 越境者と廃ガソリンスタンド

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 「ここまで」と「ここから」が接する場所だ。越えてはならないとされ、越える為には何かを失わなければならないが、 それでも越えようとするのは越えた先で何かを得られる期待ゆえ。欲望と確執が高まる場所だ。

葬送 シジュウカラ 20-2

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / シジュウカラのメスは胸の黒線が細く薄い。シジュウカラを葬った日の翌日、埋めた場所の間近にスピィッ、スピィッと甲高く鳴くオスのシジュウカラがいた。つがいだったのだろう。昨日からずっと探して、妻を見失った場所に戻ってきたのか。オスのシジュウカラが鳴き止むまで、私は撮影した亡骸の柔らかな丸みを目で追うほかなかった。

葬送 シジュウカラ 20-1

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 朝、春とは言えぬ冬でもない明るさのなかシジュウカラの亡骸があった。ガラスを空と見誤ったのだ。鳥を葬るのは、これが三度目だ。 土を深く掘り、横たえ、土をかけ、石を乗せる。なぜ、そうするのか。それは私が人間だから。

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