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どこから見ても展望台の姿をした展望台に登るのは、用意された意図にまんまと乗せられる恥ずかしさを感じ、こんなものは自意識過剰であるとわかっていてもためらいを吹っ切ることができなかった。こうしていったい何年経過しただろうか。
遡れば、はじめて九十九里へやってきて、その後の私の写真を決定づけたモデルさんを撮影したのが東金から海へ向かった先の不動堂、真亀、白里あたりだった。レンタカーで移動しつつ撮影したのだが、記憶の中の風景は現在とまるっきり違い閑散として寂しさを感じるもので、不動堂の展望台も当時はなかったのではないだろうか。あったなら興味を示すモデルさんであったし、私もためらうことなく撮影に使ったはずだ。
つまりいつの頃からか、私は誰かが用意した楽しみを素直に楽しめない人間になっていた。
この朝、はじめて展望台にあがった。真っ正面の海に午前八時の太陽があった。海鳥が目の前を群れ飛んだ。眼下の浜を歩く人々。目を射る明るさと正反対の暗さが同居していた。この風景は、ここにしかないものだった。そして私は気持ちを軽くした。
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