311への旅 浪江町立請戸小学校15時38分

(311への旅 毎日新聞の報道から考える)から続く。

浪江町立請戸小学校の時計の針は15時38分を指したまま止まっている。福島第一原発に津波が到来した時刻が15時37分だった。浪江町立請戸小学校は福島第一原発から5kmほど北にあった。子供たちが行き交っていた道はかろうじて植物に覆われることなく残っていた。整備されないままの区画が雑草で覆われているいっぽうで、残された道に人々の営みがはっきり残っている。

 

311への旅 浪江町立請戸小学校15時38分

 

311への旅 浪江町立請戸小学校15時38分

 

 

311への旅 浪江町立請戸小学校15時38分

 

311への旅 浪江町立請戸小学校15時38分

 

311への旅 浪江町立請戸小学校15時38分

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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311への旅 毎日新聞の報道から考える

(311への旅 拾遺/関東大震災と油壺 2カット)から続く。
2017年9月12日毎日新聞報道地方版「6年半 県内、依然196人不明 100人態勢で捜索 /福島」https://mainichi.jp/articles/20170912/ddl/k07/040/108000cと題する記事に「津波で31人が行方不明になっている浪江町。東京電力福島第1原発の北約5キロにある請戸地区では、原発事故のためしばらく救助や行方不明者捜索ができず、行方不明者が多い。警察官や双葉広域消防本部職員ら計約60人が慰霊碑前で黙とうした後、請戸地区での捜索活動を始めた。」と書かれている。2013年5月に発見された遺骨が最後となり、記事となった2017年9月11日の捜索では新たな亡骸の発見には至っていない。10月に同地を撮影した私が見たものは、造成間もない新興住宅街のような整地された街区と整備作業、セイタカアワダチソウが茂る依然として手付かずの荒野だった。報道された捜索は請戸地区の内陸側西にある小さな山のそばと思われ、除染と整備作業済みの街区がかなりの面積を占めていことを思うと残された最後の捜索場所と言えるだろう。発見の可能性が皆無になった訳ではないが、ほぼ探し尽くされたうえでの未発見なのだ。記事を締めくくる県警災害対策課の「行方が分からない人と、彼らを待つ家族がいる限りは捜索を続け、発見に努める」とする言葉に重く痛切な思いを感じずにはいられない。

現在の浪江町の状況については「311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 序 16カット」「311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市いわき市 12カット」に記した。相馬市から浪江町、双葉町に至る国道6号線には40km、30km、20kmと二輪車通行禁止区間までの距離が電光掲示されている。こうした緊張が日常と並行しているのが福島第一原発40km圏だ。浪江町に入ると廃墟然とした施設が目につくようになり、請戸地区は国道沿いの繁華だった場所も住宅地も生活者の姿は見当たらない。除染と再整備が済み空間線量が元どおりであっても人が戻らないのは、学校、商店など暮らしに欠かせないものが機能を取り戻していないからであり、帰還希望者はいれど帰還に結びつかない原因になっている。2017年12月15日現在、浪江町に住民票を置く人の数18,054人で先月比21人の減少、居住人口は440人で先月比22人増加である。

浪江町には鉄道の駅はなく、自家用車で移動する前提の町であった。私は相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町を自動車を運転して行き来したが、浪江町から南相馬市市街地は苦になる距離と道程ではなかった。地図上で計測すると10kmくらいだ。首都圏は別として地方都市で10kmほど自動車で日常的に移動するのは珍しくはないだろう。しかし老人や免許取得年齢に達していない若年者、体が不自由な人たちにとってはどうだろうか。病を患っている人だけでなく、いつ病気に罹るかわからないのだから身近に病院がないのも痛い。

国道6号線を南相馬市から浪江町に入る辺りになると、警察のパトロールカーが他の車両を先導するように何台も走っている。これは先導や伴走ではなく、無人かほぼ無人となった範囲を警らするためのもので、人がいなくなることは法の秩序が及ばなくなるリスクを高めるのだと思い知らされる。だが浪江町を警察がくまなくパトロールできる訳もなく、こうした日常の警らは国道上に限られている。浪江町を移動し撮影しながら、何も起こらないかもしれない、だが何か突発的に事態が急変しても助けがない可能性を巨漢の私ですら感じた。これは山中など人気のない場所で覚える危惧と別種の感覚で、無人の人家や施設があるだけに生じ倍増される感覚だった。こうした場所に一人ひとりと、もしくは家族ごとぽつりぽつりと帰還するのはやはり躊躇われるだろう。被災地取材の拠点として賃貸物件を借りようかとさえいっとき考えたが、こうした仕事場の類であっても困難が多そうで現実味が薄い。水道電気ガスといったインフラさえ整えば人々の暮らしが元どおり蘇るとは言えないのだ。ことさら浪江町を危険な場所と言いたい訳ではない。帰還の難しさについて、国や自治体でさえどうしようもない現実について言及しただけだ。百年単位の視点を持たなければならないだろう。

かつて人々の日常があった場所で行方不明者の捜索が行われ、県警災害対策課が「行方が分からない人と、彼らを待つ家族がいる限りは捜索を続け、発見に努める」と語った意味を、世間がどのように受け止めたか知る由もない。だが私の周辺を見回してみると、東日本大地震を振り返りたくないとする人が多い。復興のめでたい話題ならいいけどね、といった具合にだ。来年で震災から7年になる被災地の取材については、そのような写真は既に見ているし、新たな事実の発見なんてないだろうとする人も多い。こんなことは百も承知で私は「311への旅」を続けている。原発事故が起こり「騙されていた」と歌ったシンガーソングライターのような嘘つきになりたくないから撮影し続けるのだ。福島県に東電の原発が存在し首都圏へ送電され電力が消費されていた意味を知っていたはずなのに何も知らなかったふりをした彼のように、東日本大地震の被災地を見捨てたくないから撮影し続けるのだ。

 

 


311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 2017年10月 鹿島区八沢地区 慰霊碑 観音像
311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 2017年10月 一本松

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写真集HUMIDITY特装版

 

 

いったいいつだっけと出版日を奥付で確認するくらい記憶の片隅に移動していた写真集で、今思えばいろいろ至らなさばかりが積もり積もっているが大切な本だ。2013年の作なので4年、来年で5年になる写真集である。通常版はとうになく、特装版が在庫僅少になったので手にとって、この文を書いている。この段階で私は完全にデジタルに移行していたが、表紙に掲載した写真(中面にもある)など数多くフィルム作品が含まれる。このときわたしはタイトル通り空気中の湿度について興味があり、湿度を表現していて、現在の「Shape, Line, Texture, and Soul」とはだいぶ傾向が違う。現在だったら扱わない被写体をたくさん撮影している。

しかし表紙に選んだ写真は、表紙に選ぶくらい気に入っていたものでタッチを変えれば今撮影しているものと類似点が多い。

特装版はページにラッカー処理を施し退色や用紙の劣化を防いだものだ。この先何十年も現在の状態を保つだろう。ああ恥ずかしい、のである。しかし、やはり忸怩たるものがありつつもまとめておいてよかった。まったくいたらない作品であっても。

 

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311への旅 拾遺/関東大震災と油壺 2カット

(311への旅 福島県相馬市南相馬市いわき市 5カット)から続く。
※311への旅は「拾遺」をはさみ継続されます。

 

油壺はリアス式海岸線の入江でいくつもの岬や岬とも呼べないような凹凸によって外洋から段階的に仕切られ、壺に満たした油を覗くようなとろんと静かな波の少ない湾であることから命名された。穏やかな表情の海面に対して、あたり一帯の海岸は切り立った断崖と、堆積層が露出し侵食された荒々しい磯が点在している。堆積層はふたつの地層から形成され、白と黒の強烈なコントラストを描き侵食は海から陸へ直線状に激しく連なる。油壺のある三浦半島では関東大震災による津波は記録されていないが、海岸線周辺は1m隆起し景観は一変している。現在、海岸線で目にする侵食された白い岩の層と黒い岩の層はかつて海中にあったものだ。

人は現実の状況を目にしないかぎり、ものごとの本質を把握するのは難しい。1m隆起の意味もまた同様で、硬い岩石と化したひと連なりの堆積層を押し上げる力の異様さは、どのような図解や説明であってもここからは実感と程遠い絵空事しか理解できないだろう。抗えるはずがない力だ。日本列島が北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートの接点にある以上、沈み込みと反発、断層の更なる破壊による地震から逃れられず、人は列島に運命を預けて生きるほかないだろう。こんな過酷な列島に海を越えやってきてき嫌気がさしてどこかへ去った過去の住人もいただろうが、なぜか私の祖先は居残った。百年から数百年単位で訪れる地震の記憶は孫の代になれば忘れられたのかもしれないし、たとえ自然災害が多くても魅力的な土地だったのかもしれない。いずれにしろ日本列島に暮らし続け、自然へのまなざしばかりかこの世へのまなざしも抗えるはずがない力をやりすごすものになったのだろう。

私の代々の祖先もまた幾多の地震を経験し、海岸線や山肌の恐ろしいまでの変貌を目にしたはずだ。こうした天変地異で命を奪われた人もいただろうし、大切な人や大切なものを失った人もいただろう。こう考えるのが自然であり、他に考えようがない。冬の陽に照らされたうららかな油壺で、東日本大震災から6年以上過ぎて私は抗えるはずがない力について考えている。たぶん、祖先の誰かのように。

 

 

311への旅 拾遺/関東大震災と油壺

311への旅 拾遺/関東大震災と油壺

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