その場所に、その彼方へ [定点から]19-007〜015

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 時を、日を変え、その場所で見えるものは人であれ波であれ砂であれ雲であれ同じではない。しかしその場所には同じ人が波が砂が雲が横切り続けているように感じられてならない。ずっと、いつまでも。その場所から、その彼方へ。

Past Light 2019-005

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 人は道をつくらずにいられない。繰り返し歩き踏み固めるだけでは飽き足らず、道をより道らしくする。いつしか人が歩くままに道は姿を変える。さもなければ道は消える。いずれにしろ道はいずれ消える。

惑星と文明 19-030 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 気温摂氏8度。彼は波打ち際をずっと遠くからこちらへやってきて通り過ぎて行った。私はずっとここに居て、シャッターを切ったあと立ち去った。赤い標柱を介しても、彼と私に交差するものはなかった。

閑話休題 無題扱いのS_4227

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ これといったタイトルなしのまま掲載します。カラー作品が続いたせいか、なんとなく息がつまるというか肩が凝るような気がします。個人的な感覚にすぎませんが。なんだろう、久しぶり色のある世界に高揚さえ覚えていたのに。

海景 2019-003*004

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ ここから先、その先、ずっと先へ。ここまで、その手前、ずっと手前まで。あきらかに違う世界と世界が接し合う領域を前にして、私は目を凝らす。まだ次の世界へは行けない。しかし、確実にいつかそちらへ行く。このように宣言しておく。

その場所に、その彼方へ 19-004

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 三途の川ならぬ三途の海を見ながら私は死ぬのだと思う。三途の海は起伏が激しい深い砂丘の先の、平かな砂浜の向こうにあって、渡ろうか引き返そうか戸惑うのだろう。たぶん、こんな場所で。

その場所に、その彼方へ 19-003

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 遠いところへ来ているはずなのに、ここで生まれここで育ち、いずれここで死ぬような気がしている。飛砂が地を這い脚に叩きつけられた直後、もうもうと辺り一面が砂つぶで覆われ視界が消え失せた。ああこんなことの繰り返しだったなと、今日まで日々を思った。さて、これからどこへて

2019_10 (1シリーズ

タイトルをクリックあるいはタップした先で各作品個別に画像を拡大することができます/ 2019年秋季の(いくつかのテーマを横断していますが)新しいシリーズ作品です。当ページ投稿日以前に個別に掲載した作品と、後日個別に掲載する予定のもの、個別掲載の予定がないものを一覧できるようにまとめました。

惑星と文明 19-027 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ なぜ、ここにパイプでつくられた柵があるのか。なんとなく理由がわかる気もするし、まるっきり見当はずれの想像をしているのかもしれない。[……]私にとっての意味、それは永遠にわからないまま。

Past Light 2019-002

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 干潟に鳥がいた。一羽が舞い降り、しばし群れの静謐がやぶられる。……どれくらいぼんやりしていただろうか、西の空からまた一羽が舞い降りた。まるで永遠の繰り返しのようだった。

惑星と文明 19-026 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ サーフィンはポリネシア人によってはじめれたと言われる。日本に古くから瀬のし、板子乗りなどと呼ばれる波乗り遊びがあったので、海洋民族に共通する風俗なのかもしれない。ポリネシアに到達した宣教師たちは、人々の風習……

惑星と文明 19-025 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ メキシコ・チワワ州の砂漠地帯に自生するユッカ、和名アツバキミガヨランの一族がいまこの場所、私の目の前にある。U2のアルバムタイトル、ヨシュア・トゥリー(ジョシュア・ツリー)も同族の植物だ。生物にとっての距離としては果てしなく遠く……

Past Light 2019-001

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 正直なところ、私は他人を容易に信じられなくった。誰だって見ず知らずの他人を信頼できないだろうが、わざわざこんなことを書くくらいに信じられなくなったのだ。とはいえ冷徹に徹するのも叶わず、なんだからつらい思いをさせられる。柄にもなく悲しくなったから、この写真を撮影した。

惑星と文明 19-022 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / どこから来たのか。どこへ行くのか。私は彼を見ている。どこから来たのか。どこへ行くのか。張り渡された電線を見ている。何のために。誰のために。どうして。私は世界の前に立ち尽くす。

ハナ 19-007

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ セージは多年草または低木に分類されているので越冬してとうぜんなのだが、昨年の夏かなり弱り、冬を越した春には見る影もなくなっていたので煩わしいほど茂るとは思いもよらなかった。今年になるまでなぜか撮影する気になれなかったが、いやらしい雑草然とした様子を見ていたら時来たりと感じたのだ。

惑星と文明 19-021 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 人類はアフリカ大陸で誕生した後、数10万年をかけてユーラシア、アジア、南北アメリカ、オセアニアへ移動した。なぜ行くのか? Homo Mobilitas / ホモ・モビリタスだからというほかない。

惑星と文明 19-020 時間は砂となって降り積もる

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます / 懸念が標識ロープのかたちとなって放置されている。懸念は期待と表裏一体の関係にある。人を避けてここまできたけれど、私は人間の存在を求めていたのだ。そして画角内に人物が紛れ込んでいないのに満足している。目も当てられないほどひどい矛盾であるのは承知している。

七歳、新潟、砂の記憶 19-005

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 思い出はいつだって完膚なきまでに打ち砕かれると決まっている。子供の背の高さで見た風景、歩幅で歩いた場所は大人では体験できないものだ。大人になって追体験できるものはほとんど存在せず、時代もまた残酷なまでに景観を変える。博物館にも図書館にも記憶が保存されているはずもなく、展示や書庫にあるものは他の誰かの記憶だけだ。しかし新潟の太陽は私を裏切らなかった。

七歳、新潟、砂の記憶 19-004

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ どこでもない、いつでもない。なんて真顔で言えば正気ではないと思われるに違いない。どこでもない場所をこれといった目的もなく歩く自由がないなんて悲しい。賢いふりをするため、場所の名前、意味、区分けばかり考えて不自由きわまりない自縄自縛になるくらいなら馬鹿なままのほうがよっぽどよいだろう。私はどこでもない場所を目指す。私は見たいものを見たいように見る。

七歳、新潟、砂の記憶 19-003

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/ 漂着物なのか元からここにあったのか。ボトルの表面は磨りガラス状に摩滅していた。まさか私が小学生だった時代からここにあったのではないだろうが、ボトルとしての役目を終えてから数十年経過していたとしても不思議ではない。ずっとそばにいてやりたい気がした。陰までも愛おしい。

七歳、新潟、砂の記憶 19-002

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/海へまっすぐ続く道はずっと上り坂だった。坂を上った先に海があるというのも不思議な話で、あの頃は疑問をいだかなったが他にあまり例のない地形と言える。新潟とは新しい潟の意であり、潟は砂州などで囲まれた水たまりあるいは泥濘地のことだ。海水ならラグーン(lagoon)であるが、こうした泥濘地は水田として利用されていたので真水で満たされていたわけだ。

七歳、新潟、砂の記憶 19-001

タイトルをクリックあるいはタップした先で画像を拡大することができます/いよいよあと数年で半世紀まえの出来事になろうとしている。半世紀まえの自分について考えることになろうとは、ほんの最近まで考えもしなかったし、50年という歳月が恐ろしくも感じられる。

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