Fumi-Hiro Kato "HIRO K"/ 4月 18, 2018/ 80 ‘s

ネガからカットを探し、かつて選択しなかったものを復元するのはあまりに重大なものごとを気づかせてくれる。

前途洋々とまで言えないが可能性が感じられ下手くそなりに前進していたと思い込んでいた。こんな若気の至りの時代は、いま振り返るとひりひりした恥ずかしさでいっぱいの気持ちになる。地方出身者にとって都内の大学に入学することは、まだ親掛りとはいえ独立して生活をはじめるのを意味する。風呂なし六畳一間と台所のみのアパートは自分にとっての城であったし唯一の帰る場所そのものだった。撮影アシスタントをいくつか経験して、バイトと呼ぶには責任が大きな撮影の仕事をはじめたのもまた怖いもの知らずの若気の至りだ。大田区の下町にあるアパートは小さなスタジオ兼現像ラボで、写真を撮り続けるため写真で金をもらい機材を買うため四苦八苦しつつ金のためにまた撮影する自転車操業の繰り返しが始まった。

これでも単位を落とさぬように大学に通い続けていた理由は、たぶん写真で自立できないだろうという恐怖だったはずだ。キャンパスを次の教室へ向かっているとき、私はとんでもない人と出くわした。艶を帯びた光を放っている人がいて、重力を感じさせない宙に浮くような滑らかな人間離れした動きで目の前を横切った。ミューズが私に降り立った瞬間だった。この表現まで若気の至りにしたくない。笑いたいやつは笑えばいい。撮影が下手くそで何も知らないに等しかった私は、ミューズに導かれようやく写真の本質に向かって足を踏み入れたのだ。むしろミューズとの出会いを意識できないまま過ごした人々とは違うのであると誇らしく思う。九十九里もまたミューズを撮影するため選んだ場所で、ミューズに導かれて行った場所だった。

ミューズを誇らしく思い、女優を目指していたミューズとの時間こそ私にとっての写真を現在のかたちにしてくれたことに例えようのないありがたさを覚えるのだが、このときは世間を知らないゆえに貴重な本質が理解できていなかった。ミューズもまたこの世の人であり半神半人の存在なのだから人間的な感情が交差しぶつかり続ければ互いに厄介な存在になるのは必至だった。そして私はすべてに幼かった。ミューズを巡る二年間を総まとめして次へ至るため写真集を編むのだが、細部にミスがあり決定稿を彼女に渡せなくなり再印刷しなければならず、これだけのことをちゃんと説明できず大きな誤解が生じ彼女を傷つけた。隠し事をした訳でもなく嘘をついたのでもないが言葉がまったく足りなかった。こんな簡単なことを正確に話せるようになるのは、このとき潜り込んでいた広告代理店で仕事の数をこなしてからで、若く拙いのは私だけの問題にとどまらず関わる人の喜びまで無にきす結果を招くものと知ったのである。

写真を諦めた時代のネガの管理が悪く、かなりの分量が劣化していたが未だに像を蘇らせられる状態にあるのは幸いだった。使用しなかったカットから数多くデジタル処理で像をつくったけれど、写真の拙さと人としてあまりに拙かった私を知るうえで大切な行為になった。ミューズに感謝しても感謝しきれず、そして謝罪と贖罪が叶わぬことをこれからの人生の糧に重しにしなければならない。間違いなくミューズと九十九里は原点なのだ。これこそ写真の本質なのだと信じている。Mamiy C330とともに。

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Fumihiro Kato.  © 2018 –

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