海景 九十九里ブルース – Ⅰ (13カット)

By Fumi-Hiro Kato "HIRO K"|2018-04-12|海景/seascape

九十九里の名はずっと前から、いつからか忘れてしまうほど前から知っていた。はじめて九十九里を見たのは二十三歳で、このときとびきり気に入りのモデルさんを撮影した。季節は晩秋で空は鈍色で風は冷たく感じなかった気がするけれど、たぶん気温は低かったのだろう。ベタ焼きを見るとモデルさんの唇は乾いていて寒そうな表情がキメの表情の直後に現れている。この日は未明に日産サニーで大田区を出て首都高経由で九十九里には早朝に到着した。九十九里の浜を移動しながら撮影したのだが、どうしようもないなといま思うのはいったい九十九里のどの浜で撮影したのかまったく記憶から抜け落ちていることだ。昼飯を食べたのかさえ忘れてしまった。マミヤの105mm、55mm、ミノルタの200mm、85mm、28mmを使ったのだけははっきりしているのだが。

もっとどうしようもないのは、このとき九十九里の浜はどこも九十九里海岸であると思い疑いもすらしていなかったことだ。だから、どの浜で撮影したのかわからなくなるのである。それぞれ名前のある海岸が連なって九十九里であるのを知ったのはずっと後で、写真を諦めかけていたときだ。この時代の私は撮影のためどこかへ出かけようと思うことすらなかった。現像液のビンは蓋に薬剤が白く結晶化していて、戯れに開けようとすると結晶がぼろりとはがれ落ちるくらいに写真から遠ざかっていた。しかし、また写真に戻ってきたのは宿命というより写真が骨身に染み込んで宿痾のごときものになっていたからだろう。そう、写真は宿痾。

ここ一年ほどロケの行き来に九十九里近くを通ることが多く、また九十九里の周辺も撮影していて、なんだろう懐かしい気がして時折思い出しては足を向けたくなる場所になっている。三十年前のはじめて九十九里と出会った日の記憶を懐かしむのとはすこしばかり違う感覚だったので不思議な気がしていたのだが、小学生のとき暮らしていた新潟の小針海岸を九十九里に重ね合わせているのに気づき合点がいった。新潟の長い海岸線のほとんどが砂浜で、砂丘と呼ぶのがふさわしい分厚い浜を有している。新潟港から西へほんのすこし移動したところが小針で、砂は砂丘だけでなく市街地をも覆っていた。この砂の層は内陸に五分、十分ほど歩くと大水田地帯に変わった。だから、私が暮らしていた辺りはまだ海と海岸の一部だったのかもしれない。桑田佳祐は「砂まじりの茅ヶ崎」と歌ったけれど、私はこの歌詞の気分が大いに理解でき、すこしでも風が吹くと口の中がジャリっと鳴った日々が勝手にシンドバットから連想される。こうした記憶が九十九里に重なるのである。

子供だった私は、雪が積もりスキーで遊べる冬以外は毎日のように自転車で小針の海岸に行った。防砂林をくぐり抜けるとあちこちに赤く錆びた機械が打ち捨てられていて中には石油の掘削機のようなものまであった。こうした場所から砂丘を下るとようやく浜になる。現在はすっかりビーチに整備された小針海岸であるが、砂丘のなんとなく恐ろしげなところや、時間が停止しているかのようなところが九十九里海岸を見るたび「海辺はこんな感じだよな」と思うのだった。もちろん世の中には時代とともに時代そのものとなって変わる海辺もあるのだが、大概の海辺と海辺の町はどこか野暮ったく、あまりに広い外海に向かって開かれているのに閉ざされている感じがする。だから何かが悪いとは思うのでなく、言うなれば郷愁だ。郷愁だから野暮ったく、閉ざされている感じなのかもしれない。

九十九里を巡るとき、いつも私は記憶の中の風景を探している。車を運転し、財布にはクレジットカードが入っているけれど、乗り物は自転車で百円くらい持っていたら十分に裕福だった小学一、二年生の子供になっているのだろう。そして九十九里では驚くくらい記憶をトレースしたような景観に出会うのだった。猛烈な風が吹けばサンドブラスターのように砂を吹き付けられ耳にまで砂つぶが入り込む。締まっている砂地かと思っていたら思いの外に砂深い場所で足を取られたり。海風の塩で赤く錆びたトタンがあったり。このご時世のしわ寄せだろうが閉店したままに放置されている朽ちかけのガソリンスタンドもある。これらはポジティブな何かではなく、あたりまえだがネガティブな出来事ばかりだ。こうした印象で我が町、我が浜を語られたくないだろうから声高に言うつもりはないし、あげつらうように見世物にしたくないのだが、私にとっては愛おしくてしかたないものばかりだからレンズを向けシャッターボタンを押す。陽なるものと陰なるものはどちらも欠くべからざる一対の存在で、陽ばかりで陰がないとしたらバケモノである。九十九里の「陽」は観光シーズンの海水浴客、いつの季節でもサーフィンを楽しむ人たちとともにあるのだろうし、これらがからきし苦手な私はたまたま「陰」を愛でている。ただそれだけ。

そもそも私が九十九里に限らず撮影し続けている海景は、やはり幼い時代の原風景を再現しようとする行いなのだろう。はっきり言えば海そのものを私は大嫌いで、正確に表現するなら恐怖を覚え、海こそ死を連想する対象だ。あれだけ巨大で、あれだけ暴力的な自然を、どうしたら愛せるのかとさえ思う。死後の世界を天と呼び、天国は空中のかなたにあるように描かれたり語られたりするけれど、私にとっては死とは、死後の世界とは海、海洋なのだ。黄泉の世界の入り口が渚であり波打ちぎわである。うっかり波打ち際に足を突っ込むと離岸流によって死に飲み込まれ、世界中の神話に描写されているようにあちらの世界で「とろろぎて」、これまた神話のお決まりで奇特な人が亡者をこの世につれもどそうとするけれど成功した試しがないということになる。浜と町の間にある空間は、まさにいまわのきわで、この世とあの世の曖昧な交雑地帯だ。私はこうしたこの世とあの世の瀬戸際、曖昧で混沌とした場所で育ち、あの世の入り口を毎日のように訪ねて遊んでいたことになる。幼い日の原風景、記憶の原点なんてものは、だいたいにおいてあの世との境い目みたいなものなのではあるが。

たぶん私は、死ぬときいまわのきわで防風林や錆びた鉄や砂丘や鈍色の空を見るのだろう。間違いなくそうだろうし、この世にあってもこれまでの人生は九十九里の風景のようなナニカを巡ってぐるぐる廻っていたような気すらするのだ。

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About Fumi-Hiro Kato "HIRO K"

加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato 写真家・作家 / Photographer Author ・北海道北見市生まれ。 ・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。 ・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。 ・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・各メディアにおけるスチル撮影。 ・オリジナルプリントの製作、販売。 ・JSAHP正会員