311への旅 毎日新聞の報道から考える

By Fumi-Hiro Kato "HIRO K"|2017-12-15|311への旅

(311への旅 拾遺/関東大震災と油壺 2カット)から続く。
2017年9月12日毎日新聞報道地方版「6年半 県内、依然196人不明 100人態勢で捜索 /福島」https://mainichi.jp/articles/20170912/ddl/k07/040/108000cと題する記事に「津波で31人が行方不明になっている浪江町。東京電力福島第1原発の北約5キロにある請戸地区では、原発事故のためしばらく救助や行方不明者捜索ができず、行方不明者が多い。警察官や双葉広域消防本部職員ら計約60人が慰霊碑前で黙とうした後、請戸地区での捜索活動を始めた。」と書かれている。2013年5月に発見された遺骨が最後となり、記事となった2017年9月11日の捜索では新たな亡骸の発見には至っていない。10月に同地を撮影した私が見たものは、造成間もない新興住宅街のような整地された街区と整備作業、セイタカアワダチソウが茂る依然として手付かずの荒野だった。報道された捜索は請戸地区の内陸側西にある小さな山のそばと思われ、除染と整備作業済みの街区がかなりの面積を占めていことを思うと残された最後の捜索場所と言えるだろう。発見の可能性が皆無になった訳ではないが、ほぼ探し尽くされたうえでの未発見なのだ。記事を締めくくる県警災害対策課の「行方が分からない人と、彼らを待つ家族がいる限りは捜索を続け、発見に努める」とする言葉に重く痛切な思いを感じずにはいられない。

現在の浪江町の状況については「311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 序 16カット」「311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市いわき市 12カット」に記した。相馬市から浪江町、双葉町に至る国道6号線には40km、30km、20kmと二輪車通行禁止区間までの距離が電光掲示されている。こうした緊張が日常と並行しているのが福島第一原発40km圏だ。浪江町に入ると廃墟然とした施設が目につくようになり、請戸地区は国道沿いの繁華だった場所も住宅地も生活者の姿は見当たらない。除染と再整備が済み空間線量が元どおりであっても人が戻らないのは、学校、商店など暮らしに欠かせないものが機能を取り戻していないからであり、帰還希望者はいれど帰還に結びつかない原因になっている。2017年12月15日現在、浪江町に住民票を置く人の数18,054人で先月比21人の減少、居住人口は440人で先月比22人増加である。

浪江町には鉄道の駅はなく、自家用車で移動する前提の町であった。私は相馬市、南相馬市、浪江町、双葉町を自動車を運転して行き来したが、浪江町から南相馬市市街地は苦になる距離と道程ではなかった。地図上で計測すると10kmくらいだ。首都圏は別として地方都市で10kmほど自動車で日常的に移動するのは珍しくはないだろう。しかし老人や免許取得年齢に達していない若年者、体が不自由な人たちにとってはどうだろうか。病を患っている人だけでなく、いつ病気に罹るかわからないのだから身近に病院がないのも痛い。

国道6号線を南相馬市から浪江町に入る辺りになると、警察のパトロールカーが他の車両を先導するように何台も走っている。これは先導や伴走ではなく、無人かほぼ無人となった範囲を警らするためのもので、人がいなくなることは法の秩序が及ばなくなるリスクを高めるのだと思い知らされる。だが浪江町を警察がくまなくパトロールできる訳もなく、こうした日常の警らは国道上に限られている。浪江町を移動し撮影しながら、何も起こらないかもしれない、だが何か突発的に事態が急変しても助けがない可能性を巨漢の私ですら感じた。これは山中など人気のない場所で覚える危惧と別種の感覚で、無人の人家や施設があるだけに生じ倍増される感覚だった。こうした場所に一人ひとりと、もしくは家族ごとぽつりぽつりと帰還するのはやはり躊躇われるだろう。被災地取材の拠点として賃貸物件を借りようかとさえいっとき考えたが、こうした仕事場の類であっても困難が多そうで現実味が薄い。水道電気ガスといったインフラさえ整えば人々の暮らしが元どおり蘇るとは言えないのだ。ことさら浪江町を危険な場所と言いたい訳ではない。帰還の難しさについて、国や自治体でさえどうしようもない現実について言及しただけだ。百年単位の視点を持たなければならないだろう。

かつて人々の日常があった場所で行方不明者の捜索が行われ、県警災害対策課が「行方が分からない人と、彼らを待つ家族がいる限りは捜索を続け、発見に努める」と語った意味を、世間がどのように受け止めたか知る由もない。だが私の周辺を見回してみると、東日本大地震を振り返りたくないとする人が多い。復興のめでたい話題ならいいけどね、といった具合にだ。来年で震災から7年になる被災地の取材については、そのような写真は既に見ているし、新たな事実の発見なんてないだろうとする人も多い。こんなことは百も承知で私は「311への旅」を続けている。原発事故が起こり「騙されていた」と歌ったシンガーソングライターのような嘘つきになりたくないから撮影し続けるのだ。福島県に東電の原発が存在し首都圏へ送電され電力が消費されていた意味を知っていたはずなのに何も知らなかったふりをした彼のように、東日本大地震の被災地を見捨てたくないから撮影し続けるのだ。

 

 


311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 2017年10月 鹿島区八沢地区 慰霊碑 観音像
311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 2017年10月 一本松

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About Fumi-Hiro Kato "HIRO K"

加藤(文)文宏 / Fumihiro Bun Kato 写真家・作家 / Photographer Author ・北海道北見市生まれ。 ・大学卒業時までに詩集「無題あるいはサラバ」、同「Cadenza」発表(共に絶版、在庫なし。「Cafebza」別装丁私家版のみあり)。 ・スタジオ助手、写真家として活動の後、広告代理店に入社。 ・2000年代初頭の休止期間を除き写真家として活動。(本名名義のほかHiro.K名義他) ・広告代理店、広告制作会社勤務を経てフリー。 ・不二家CI、サントリークォータリー企画・取材、Life and Beuty SUNTORY MUSEUM OF ART 【サントリー美術館の軌跡と未来】、日野自動車東京モーターショー企業広告、武田薬品工業広告、他。 ・長編小説「厨師流浪」で作家デビュー。小説のほか、エッセイ等を執筆・発表。 ・獅子文六研究。 ・インタビュー & ポートレイト誌「月刊 IJ」を企画し英知出版より創刊。同誌の企画、編集、取材、執筆、エッセイに携わる。 ・各メディアにおけるスチル撮影。 ・オリジナルプリントの製作、販売。 ・JSAHP正会員