311への旅 拾遺/関東大震災と油壺 2カット

(311への旅 福島県相馬市南相馬市いわき市 5カット)から続く。
※311への旅は「拾遺」をはさみ継続されます。

 

油壺はリアス式海岸線の入江でいくつもの岬や岬とも呼べないような凹凸によって外洋から段階的に仕切られ、壺に満たした油を覗くようなとろんと静かな波の少ない湾であることから命名された。穏やかな表情の海面に対して、あたり一帯の海岸は切り立った断崖と、堆積層が露出し侵食された荒々しい磯が点在している。堆積層はふたつの地層から形成され、白と黒の強烈なコントラストを描き侵食は海から陸へ直線状に激しく連なる。油壺のある三浦半島では関東大震災による津波は記録されていないが、海岸線周辺は1m隆起し景観は一変している。現在、海岸線で目にする侵食された白い岩の層と黒い岩の層はかつて海中にあったものだ。

人は現実の状況を目にしないかぎり、ものごとの本質を把握するのは難しい。1m隆起の意味もまた同様で、硬い岩石と化したひと連なりの堆積層を押し上げる力の異様さは、どのような図解や説明であってもここからは実感と程遠い絵空事しか理解できないだろう。抗えるはずがない力だ。日本列島が北米プレート、太平洋プレート、フィリピン海プレート、ユーラシアプレートの接点にある以上、沈み込みと反発、断層の更なる破壊による地震から逃れられず、人は列島に運命を預けて生きるほかないだろう。こんな過酷な列島に海を越えやってきてき嫌気がさしてどこかへ去った過去の住人もいただろうが、なぜか私の祖先は居残った。百年から数百年単位で訪れる地震の記憶は孫の代になれば忘れられたのかもしれないし、たとえ自然災害が多くても魅力的な土地だったのかもしれない。いずれにしろ日本列島に暮らし続け、自然へのまなざしばかりかこの世へのまなざしも抗えるはずがない力をやりすごすものになったのだろう。

私の代々の祖先もまた幾多の地震を経験し、海岸線や山肌の恐ろしいまでの変貌を目にしたはずだ。こうした天変地異で命を奪われた人もいただろうし、大切な人や大切なものを失った人もいただろう。こう考えるのが自然であり、他に考えようがない。冬の陽に照らされたうららかな油壺で、東日本大震災から6年以上過ぎて私は抗えるはずがない力について考えている。たぶん、祖先の誰かのように。

 

 

311への旅 拾遺/関東大震災と油壺

311への旅 拾遺/関東大震災と油壺

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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