311への旅 福島県相馬市南相馬市いわき市 5カット

(311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市いわき市 12カット)から続く。

 

旅は日常とは何かを教えてくれる。エアコンの効いた部屋からいきなり外に出て暑さ寒さの差に驚くのは、室内の環境に慣れきって室内の温度を客観的に把握できなくなっているからだ。福島県への旅は、首都圏感覚に慣れきった私の感覚を校正するきっかけになった。しかし、福島県の人にとっては私が訪ねた場所にあるものが日常である。日常は世界を満遍なく普遍的に包み込んだものでなく、土地ごと、個人ごとに内在している。私の日常は、あなたの日常ではない。

東日本大震災は日本人の感覚をきっと大きく変えたはずだ。震災以前、以後に時代を区切ることさえ可能なように思われる。だが、以前の日常がそれぞれ違ったように、以後の日常もまた一人ひとり違うはずだ。したがって主語を大きくとった話はナンセンスなのだが、震災が日本人を大きく分断したのは間違いない。何が、どこで分断されたか、いくつもの分断がありそうで一言では言えないけれど。

私は震災以前から首都圏で使用される電力が双葉町にある東京電力の原子力発電所でつくられているのを知っていた。原子力発電所が首都圏ではなく、福島県に設置されている理由も知っていた。「311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市いわき市 12カット」で除染員について触れたが、原発労働者と呼ばれる人々の働きがあって発電所は運転を続けられ、私はふんだんに電力を使えるのを知っていた。このように震災以前にも分断は存在したが、地下の活断層のように日常からは隠蔽していた。「隠蔽されていた」ではなく、私が「隠蔽していた」のだ。私に限らず程度の差こそあれ、首都圏で暮らしている者、暮らしていた者は似たり寄ったりだったはずだ。ところが震災の津波によって原発が制御不能になったとき、のちに反原発、反政府を叫ぶ人々や風評被害を生じさせたり風評に乗った人々は、「隠蔽されていた」と口にするようになった。これが幾多の分断のうちの、震災以前の分断と震災以後の分断の一例だ。そして、これらには福島県の当事者の視点がきれいさっぱり抜け落ちている。

原発が制御不能になると、ある歌手が「隠蔽されていた」とばかり騙されていたと歌にして拍手喝采を浴びた。震災以前に使用していた電力がどういったものか彼が知らなかったとしたら、これは相当の知恵遅れとしか言いようがない。しかし彼は知恵遅れではなさそうなので、自分自身を正当化するため「隠蔽していた」を「隠蔽されていた」とすり替えたのは間違いない。だから私は、あの歌手もあの歌もヘドが出るほど嫌いになった。この人が歌をつくって歌った頃から、反原発、反政府と拳を振り上げる人々が続々と登場し、街に出て太鼓を叩いたり笛を吹きながら行進していたけれど、やはり自らが「隠蔽していた」のをまるで忘れたかのような素振りだった。ハーメルンの笛吹きのあとを夢遊病者のようについて歩く行列には、芸術家、作家、知識人、政治家、有名人が混ざっていた。彼ら彼女らは自らが人々を先導していると誤解していたようだが、あれは笛吹きのあとをぞろぞろ行列していたに他ならない。いずれも、とても勝手な嘘つきばかりである。

こうした嘘つきが跋扈する首都圏の欺瞞に、私はずっと苛立ち怒り続けていたようだ。むしろ私があなた方に騙されていたと、この人に言いたかった。これもまた、私の日常である。そして、311への旅に出なければならない理由だった。

2017年10月27日の福島県相馬市の夕空と、28日の早朝の空はこの世のものとは思えない美しさだった。特に28日の早朝の空はいわし雲と積層雲が入り混じり夜明けの太陽が直進度の高い光を地上に向け輝かせていた。空気はとても澄み渡っていたが、同時に微量の美しい湿度感があった。写真家なら、興奮せざるを得ない光だった。そして思ったのは、これは比較的高緯度にある地域の光で、私の記憶の中に理想として眠っていた光だということだ。私は北海道の北見で産まれ、公務員であった父の転勤に従い宮城県、東京都、新潟県で幼年時代をゆっくり過ごした。私の基本形は東北と関越で形づくられているのだ。これらの土地の光を見て、これらの土地の水を飲み、これらの土地の米と味噌醤油を食べて、この体はつくられたのだ。と思ったとき、浪江町をいかに撮影すべきか悩んでいた私の前に答えが現れた。撮りたいように、いつものように撮ればよいのだ。誕生して間も無く見たはずの自然の光を追えばよいのだ。
[下へ続く]

311への旅 福島県 相馬市

311への旅 福島県 相馬市

311への旅 福島県 南相馬市

体に生じる反応は、脳が考えるものごとを一変させる。首都圏の欺瞞への苛立ちはなくならなかったものの、確実に何かが変わっていた。これで震災の被災者に同化したなど思い上がるつもりは毛頭ないが、すくなくとも私が欲していた土地に立っている実感は確かなものになった。もっと早く来ればよかった。でも、いまこのとき福島県を訪ねたのも時と事情の巡り合わせの必然であり、他の年、他の月、他の日に無理をしたのでは得られるものはすくなかっただろう。これもまた日常であり、非日常でもある。現場に立つ意味は大きい。通信が飛躍的に発達して地球の裏側へも一瞬のうちに確実にアクセスできるようになったが、恩恵はべらぼうだけれど何ら以前と変わらぬままの事象は多い。私が実現できたからといって、福島県に来ることもなく反原発、反政府、ひどいデマの流布をしている人を実体験の差のみで馬鹿にする気はない。とはいえ、福島県の空と光も見ず、人と話もせず、水も飲まずに「東日本大震災」「津波」「原発事故」といったキーワードだけを頼りに反原発、反政府といった大言壮言を弄ぶのはやめるべきだと言いたい。ハーメルンの笛吹きの存在を認め、自らの足元にある日常に帰り、この日常を校正すべきと言いたい。惨めな日常を直視しろ。

いわき市の光は福島県北部とはまるで違った。台風一過のぎらつく太陽と強風は撮影に向かないものだったが、これもまたいわき市四倉の浜の日常であり現実だ。現場で経験しなければならないものごとだ。私はありがたくシャッターを切り続けた。浪江町、南相馬市、相馬市でいつも携帯していた数珠を、この日も持ち歩いた。そして、前日までと同じように数珠を手にして南無阿弥陀仏を唱えた。

311への旅 福島県いわき市 四倉

311への旅 福島県いわき市 四倉

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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