311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市いわき市 12カット

(311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 序 16カット)から続く。

相馬といえば野馬追神事だ。

野馬追には500頭の馬がかり出されるが、これほどまでの頭数の馬がどこからやってくるか私は知らなかった。相馬の人であるXさんと話した折り、相馬ではごくごく普通の生業の土地っ子が馬を飼っていると教えてくれた。あとは各地から借りてくるという。Xさんは自らの去勢していない雄馬を駆って野馬追に出る。去勢された雄馬は競り合いになって鼻面が並ぶともういいやと引いてしまうが、未去勢の馬は相手を引き離すまで力を振り絞るのだという。気性は荒い。調教も難しい。しかし玉がついているなりに育て、教え、関係を築けばなんということはない。玉を取りたくなかったし、玉がついている馬が好きだとXさんは言った。他人の馬は性格が把握できないので何をどうしでかすかわからず怖い。馬は群れの動物なので近くにいる他の馬が興奮状態になると動揺が伝染する。おびえたり、驚いたり、暴れたりが連鎖するのだ。この状態をXさんはキチガイになると表現した。日頃は冷静であったりのんびり屋の馬でもキチガイになると手が付けられない。玉がついている馬は、こんなときも我関せずと唯我独尊の傾向があるという。馬の話になると目がらんらんと輝きつつも優しくなるXさんの未去勢の雄馬好きは、野生の馬に通じる生き物への愛に満ち、相馬の人の気風を表しているように私には見えた。

野馬追は、古来野生の馬を敵軍に見立てての軍事演習だった。徳川家康が戦乱の時代を平定すると、軍事演習でもある野馬追は幕府から禁じられた。藩主の相馬氏は野馬追は神事であると強硬に主張し、幕府から再開を勝ち取ったのである。
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余所者の私がちょっと垣間みただけで相馬の人はなどと言えるものではないが、野生の馬と付き合える独特の精神性を感じずにはいられない。間合いの取り方が、私が知っている他の北国の人々とかなり違う。武者姿のXさんが野馬追で自らの馬を駆っている写真を何枚も見せてもらったが、愛馬の眼のりりしさと智慧の光に驚かずにいられなかった。こうした勇猛かつ知的な存在と付き合うには、人間の側にも誇りがなければ釣り合わず、かといって威張りくさっていては信頼関係は築けない。互いに、似ているのではないか。Xさんの小学生の息子は、この去勢されていない馬にまたがろうとしては振り落とされ、それでもめげず乗りこなそうとしているそうだ。

相馬の人々と話をしていると必ず、除染作業と復興事業がふとしたきっかけで話題にのぼる。震災後、各地から来る両作業員の宿泊需要が増加の一途をたどり、ビジネスホテルが続々と建てられた。私が宿を決めようとしたときホテルがいくつもあるにも関わらず日程ぶんだけの予約を取れなかったのも、こうした事情が背景にあった。幸いにも予約できたホテルはバスとトイレが別の新しい清潔な部屋だったが、どうにもこうにも人を泊めなくてはならず需要に押されて新造された宿のなかには壁がかなり薄いところもあるらしく、「壁が薄いホテルでは」という冗談が相馬では広く語られている。壁が薄いホテルでは早朝3時に猛烈な雄叫びが響くというのだ。朝早くから着替えをし朝食を食べ現場に遅刻せず勢揃いしなければならない。なので、リーダーが午前3時に「起きろ」と叫ぶ。壁が薄いので、雄叫びは全室に轟きわたりどんな寝坊助も飛び起きる。

この冗談は面白いだけの話とは思えなかった。

除染作業をしなければならないのは、相馬の人がどうしようもなかった原発事故が原因である。不条理としか言いようのない災難が舞い降りてきて、この重さは個人が支えきれるものではなかった。国や自治体や東電に、実害や風評被害の怒りをぶつけてもどうしようもない。どうしようもなくないかもしれないが、怒りをぶちまけても一件落着するはずがない。かといって泣き言や恨みつらみを言いつのり、施しを受けたり、ゆすり取ったりするのはとうてい人としての誇りが許さない。どうしたらよいのか答えがない状況にある。

ここに他県から除染作業員が次から次と訪れ、入れ替わり立ち替わりしている。除染作業は危険と隣り合わせで被爆線量を管理される重労働であり、それでも大量の人手が必要なため高待遇(平均週4日勤務、有給休暇制度あり、部屋代支給、労災保険はもちろん健康保険あり)で高給が支払われる。すべての除染作業員ではないが、一発逆転、一攫千金を目指して群がる人もいる。普通の人がいる一方で、普通ではない人がいる。真偽不明だが、様々な怪しい話が付きまとう。警察がどうした、などという話もある。除染バブルなる言葉が存在する。除染作業員を巡る金の循環あるいは滞留の仕方もまた、未だかつて相馬周辺の大半の人々が未経験なものだった。地元の人から、除染を巡る現実はとかく厳しい目で見られることになる。だが相馬の人には生業があり、皆が皆生業を放り出して除染作業はできない。作業員がいないことにはにっちもさっちもいかない。だから辛辣さを秘めた冗談を言いたくなる人もいるのだ。

福島の人が狭量なのではない。あらゆる方向から矛盾が押し寄せ、複雑な心境にならないほうがどうかしている。繰り返すが、矛盾を呼び寄せたのは地元の人々ではない。

相馬は福島県浜通りの北部に位置する。福島県は山地によって南北に三筋に分けられ、海側から浜通り、中通り、会津と並ぶ。浜通りは、夏は涼しく冬は雪があまり降らない。絶好の気候ではあるが、稲作に夏の低温は致命的で過去には飢饉に見舞われたこともある。危機に瀕した相馬中村藩は二宮尊徳を招聘し指導を仰いだ。中村藩では二宮尊徳の財政改革と農村改革のプランを「御仕法」と呼び、現在も地元の人に広く強く影響が行き渡っている。しかし、現代に二宮尊徳は存在せず、尊徳がいたとしても困難な状況をきれいに片付けられるとは限らない。時間はかかるかもしれないが、不条理と矛盾をひとつひとつ解決しなければならないことを浜通りの人は知っている。それでなくても人生は思い通りにならないやっかいものなのに。

2017年10月27日から28日は、台風22号が種子島を舐めるように通過し日本列島の太平洋岸を北上していた。ロケ1日目は目まぐるしく天候が変化するなか早朝から浪江町に入り、翌日以降の悪天候が懸念されたため大急ぎで2日目以降に予定していた撮影地点も消化した。相馬港周辺に到着したとき、海は大荒れになっているだけでなく、道路に浮いた砂は盛大に濡れて泥状になって、防潮堤の工事現場を通過する際は未舗装路に車がスタックするのではないか気が気でない状態になっていた。このため宮城県との県境近くを目指すのを諦め、Uターンして相馬港寄りの防潮堤のない海岸で撮影を行った。予想されていた通り日曜日は大雨と強風に見舞われた。しかし台風22号で行動を制限されたことが、このあと結果として万事塞翁が馬になる。X氏ほか相馬市の人々と会話をしたり、ごく短時間すれ違ったりできたのは台風のおかげだ。この日、相馬の人の問いかけがなかったら、私は不十分な旅で満足して家路につき、のちほどひどく後悔するはめになっていたかもしれない。
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311への旅 福島県 相馬市 相馬港近く311への旅 福島県 相馬市 相馬港近く

「いわきは行きましたか」
台風のさなか、ある相馬の人に問われた。いわき市が地震と津波で大きな被害を受けたのは知っていたが、まず浪江町、南相馬市、相馬市と訪ねるべきだろうと考え今回の予定に含めていなかった。だが、そうも言っていられなくなった。ここにもまた、私の無理解があったのだ。いわき市の北端は、今回の旅で巡った場所と同じく福島原発30km圏内である。30km圏の同心円は双葉町が含まれる双葉広域行政圏からいわき市にわずかにはみ出すように通過している。この事実を、いわき市は30km圏内からはずれた場所と解釈していた。解釈の背景にあったのは当時の風向きだ。風は内陸へ向かっていて、いわき市は放射能を含んだ大気が通過していないと高をくくっていた。しかし、相馬の人はいわきの名を挙げた。同心円の内外であるとか風向きで不安がなくなる訳がない。浪江町、南相馬市、相馬市と巡るなら、いわき市北部にも行かなければ今回の旅程は完結しないのだった。

いままでの知識のままでは、いわき市を訪ねられない。慌てて相馬図書館に駆け込み、ホテルのWi-Fiを使って検索もかけた。やはりいわき市北部の人々は30km圏内の内か外か問わず、風向きとも無関係に、地震と津波の被害だけでも精一杯なところに原発事故の不安が心にのしかかっていたのだ。私が国道6号の40km、30km、20km先は二輪車の通行禁止と刻々と表示される電光掲示板に強い違和感を覚えたように、浪江町に入るとき広報訓練の緊急速報に戦慄したようにだ。こうまでしていても、私は何もわかっていなかったのだ。

いわき市は浜通り北部とまったく違う文化圏だ。インターチェンジを下りたときの空気感と大気を通過する光が一変した。いわき市の人は関東を向いて生活している。テレビ、ラジオは関東キー局、地方局の電波が届く。したがって、子供の頃から家庭のテレビは関東圏の番組が映し出されているのが当たり前の人も多い。電波だけでなく、道路や鉄道もまた水戸と直結しているので人の行き来や商売の範囲は、福島県北部より首都圏寄りだ。でも、首都圏、関東圏と同じではない。たとえば千葉県の外房とは雰囲気からしてまったく違うのだった。

私はいわき市の四倉を目指した。四倉海水浴場は常磐ハワイアンセンターで有名ないわき市北部にある遠大な浜だ。四倉近辺は前述のように津波によって大きな被害を受けた。去年、鹿島灘を取材して砂丘が津波のエネルギーを奪うブレーキとして働くのを知った。四倉を襲った津波は海沿いの市街地へ漁船を押しやるほど大規模なものだっだか、浪江町の漁港近くのように建物という建物が破壊される規模ではなかった。震源からの距離、海底の地形、海岸線が広がる方角等の条件を加味して考えなくてはならないとしても、四倉周辺は長く広い砂浜が味方したようにみえる。しかし、死者22名、関連死13名と記録されている。周囲は押し波によって水没し、引き波によって壊され奪われたのだ。

ここでも防潮堤の整備が進められ、ほぼ完成していた。四倉海水浴場駐車場から防潮堤は立ち上がっている。私が見てきた福島県の他の防潮堤と違い、法面は海側、陸側ともに松の苗が植えられていた。松は防風林として機能するだけでなく、観光地らしい外観を整えるのに役立つだろう。もしかしたら防潮堤の切れ目を見られるかもしれないと歩いてみたが、足が棒になるだけで終点にたどり着けなかった。

防潮堤の工事が完成していないため浜へ出るための通路は限られている。現在はたぶん1箇所だ。しかし、立ち入りは禁じられているがいくつも通路がつくられているので完成後はどこからも出入りできるようになるのだろう。こういった点も実用に重きを置いた福島県の他の防潮堤と構造が異なる。浜は奥行きが深く、いわき市を代表する海水浴場となったのが納得できる。津波の引き波は更に沖へ海と陸の境界を押しやり、あたかも砂浜が更に広がるように海底が顔を出したという話を聞いた。震災の日の津波到来後に海底が露出する光景を見られる環境にあったか不確かなため紹介だけにとどめておくが、他の地域では動画で撮影されているためあり得ない話ではない。

一見するだけなら四倉海水浴場は冬の海水浴場でしかない。周辺の街並みにも、津波被害を連想されるものはほとんどない。しかし防潮堤が誕生直前であるように真新しい家が多く、これらが大手住宅メーカー系か類するものであることを含めて震災直後に建て替えられたものだろうと気付く。こうした景観に浪江町の現在の姿をどうしても重ねて見ざるを得ない。もし原発事故がなければ、避難指示区域に指定されなかったら、浪江町の漁港周辺はこのようになっていたのだろう。生活と生業は土地を媒介して固く結びついている。過去の記憶と将来への展望もまた土地を媒介して固く結びついている。土地を失うのは、生活、生業、記憶、展望をばらばらにされ、失うことを意味している。どうして浪江町住民の帰還意向が「すぐに・いずれ戻りたいと考えている」が17.5%、「まだ判断がつかない」が28.2%、「戻らないと決めている」が52.6%(平成28年9月調査)となるのか、理由は思い浮かぶが更に考えなければならないものがあるだろう。
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311への旅 福島県 浪江町311への旅 福島県 浪江町311への旅 福島県 浪江町四倉周辺の人々もまた以前通りの生活に戻った訳ではない。破壊された家を解体撤去し、将来を考えたつくりで新築するとして、2011年3月11日以前は予定すらしていなかった資金を調達しなければならない。火災保険は津波被害は保証の範囲外だ。地震保険に加入していれば津波被害は保証されるが、支払われるのは全損で建物時価の50〜70%といったところだろう。現実は居住不能だが半壊とされる場合は少なくない。築年数が古くなれば時価算定はかぎりなく低くなる。被災した人たちは、原発30km圏内か圏外ではあるが直近であることの不安を抱えつつ、自宅を再建するか否かの決断を迫られていたのだ。家だけではない、仕事や学業、乳幼児や老いた家族などとの生活をこれからどのように立て直したらよいか考えなくてはならなかった。

「311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 序 16カット」に国道6号線のあちこちに40km、30km、20kmと双葉町の福島原発までの距離と自動二輪車通行禁止である旨が電光掲示板で表示されている話を書いた。そして20km圏内に入ると、そここに放射線量を逐次表示する線量計が設置されている。どのような人でも普段の生活の中で「駅から何キロ」などと同心円を思い浮かべることはあるが、あくまでも概念でしかない。今回の旅で私は、概念ではなく目で見え確認できるかたちで、あるいは生活そのものとして原発を中心にした同心円を常に意識しせざるを得なかった。空間線量が可視化されるのも、以前なら研究者の研究活動の世界にしかなかったものだ。土地とともに生きてきた人々には、たまに思い出される概念にすぎなかったものが日常の中で意識され続けているのだ。こうした福島県の生活者を、遠く離れた土地の者が「東日本大震災」「津波」「原発事故」とキーワードに頼った概念だけで語っている。そして概念だけを振り回して、政治の道具、いやがらせの道具、商売の道具にしている馬鹿者もいる。震災から6年半が過ぎても何ら変わることも続けている。中央のマスコミにもまた同様の人が多いのは嘆かわしいばかりである。
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Fumihiro Kato.  © 2017 –

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