311への旅 福島県浪江町相馬市南相馬市 序 16カット

311への旅 福島県(相馬市、南相馬市、浪江町)準備から続く。

 

はるか遠くにあったものごとが、いま目の前に広がっている。

国道6号のひときわ大きな電光掲示板に40km先は二輪車の通行が禁じられていると表示されている。車を進めると、30km、20kmと禁止区間までの表示距離が縮まる。双葉町までの距離だ。双葉町への立ち入り許可申請が間に合わなかった私は、双葉町と接する浪江町に向かうため相馬市から国道6号を南下していた。福島第一原発事故以来、国道6号の著しく汚染された区間が通行止めになっていたが、放射線量が低くなったとして今年(2017年)9月15日から全線通行可能になった。しかし、歩行者、自転車、自動二輪車は自動車のように車体で覆われていないため被爆が懸念されるとして、これまでの封鎖区間の通行が許されていない。

福島第一原発から放出された放射能は、大気の流れに沿って双葉町全域と浪江町の内陸側を飲み込み更に西へ及んだ。浪江町の沿岸部は一部を除いて気流の通過を免れたが、原発から最短で4kmの距離にあるため住民はすべて避難し立ち入りもまた制限されていた。浪江漁港周辺を含むほぼ常磐線以東が避難指示区域に指定されたのだ。原発事故以前の問題として、漁港の周辺は津波に襲われ壊滅的被害を受けているため避難するほかなかっただろう。常磐線から西へ常磐自動車道あたりまでが旧居住制限区域、常磐自動車道から西は帰宅困難区域である。旧避難指示解除準備区域、旧居住制限区域と「旧」がつくのは、今年3月31日をもって避難指示が解除されたからだ。

旧避難指示解除準備区域は津波被害の復興事業が進められ基本的なインフラは復旧したが、10月末現在生活をしている人はいない。また帰還困難区域を通行しての立入り時間は午前6時から午後7時までに制限されている。避難指示解除前に実施した住民の帰還意向調査では、「すぐに・いずれ戻りたいと考えている」が17.5%、「まだ判断がつかない」が28.2%、「戻らないと決めている」が52.6%(平成28年9月調査)だった。

車が浪江町に入る直前、スマートフォンがけたたましくチャイムを鳴らした。聞き覚えのないメロディーに驚き、私は車を路肩に停めた。

「緊急速報」
「浪江町です。原子力発電所の事故により、浪江町に広域避難の指示が出ました。安定ヨウ素剤は、浪江町地域スポーツセンターで受け取ってください。自家用車等での避難が難しい方は、浪江町地域スポーツセンターに集合してください。スクリーニング場は川俣町体育館です。避難先は二本松市です。今後のお知らせ、テレビ・ラジオの情報に注意してください。」

まさか、と思った。よりによって私が、と戦慄した。信じられず、信じたくなく、速報を文頭から読み直した。[【広報訓練・浪江町】訓練です。]とあった。文末には、[以上、訓練です。(浪江町)]と発信者の署名。動転のあまりこれらを見落としていたのだ。

浪江町の沿岸部は放射線量は低い。だから、避難指示が解除されたのだ。国道6号の二輪車通行禁止区間であっても、短期的には何ら健康被害はない線量であり、長期間生活するとき懸念があるだけなのを知っていた。航空機に乗れば宇宙線由来の放射線を地上以上に浴びる。自然由来の放射線量が多い場所が地球上にはいくつも存在し、さらにいくつかは都市である。レントゲン撮影はもちろん、CTスキャンでも放射線を浴びる。5月から7月にかけて私は、救急搬送、手術と繰り返しレントゲンやCTスキャンで肉体深部を撮影されたがなんら健康被害を受けていない。重大な問題があれば避難すべきだが、初老の域に入った肉体への影響は少なく、仮に影響を受けても先が長い訳ではないから覚悟するほどではないと考えていた。これでも、チャイムの音と「緊急速報」の四文字に私は動転したのだ。

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開口部を板囲いした店舗や明らかに廃墟とわかる建物。これらによって浪江町に入ったのを知らされた。コンビニエンスストア、ボーリング場、宴会場、ガソリンスタンド、ホームセンターは外観に特徴があったり看板が残っているものもあり、震災前と後の落差の大きさをまざまざと示している。いきなり大地震が大地を揺るがし、いきなり津波が到来し、いきなり原発が制御不能になって、人はいきなり人生を台無しにされたのだ。すべてがいきなり、震災後に突入したのだ。この不条理の極致を、290km隔てて私はテレビで新聞でインターネットで見ていた。津波や原発事故の映像を見ながら、とんでもない状況に陥ったと唖然としつつ、どこか現実感のない奇妙な感覚に陥っていた。やけに生々しい悪い夢のようでもあった。時間だけを共有している並行世界のあちらが側の出来事のような感じもした。心配や悲しさや諦めは確かにあったが、感情の足元は地に足がついていなかった。こうした感覚はやがて理性では修正されたが、心理は依然として距離を隔てた遠さを抱えたままだったのだ。

津波で破壊され尽くされた浪江町の沿岸部は、セイタカアワダチソウが目立つ雑草の原に見えたが、かつて漁港の町だった地区に入るとやや印象が変わる。道路は舗装が直され真新しい電柱には電線が張り渡されていて、開発間もない更地のニュータウンのようだ。しかし、数少ないが未だ残る全壊半壊の家屋は自然災害の惨たらしさを白日の下に晒している。舗装が行き届いているのは表通りだった道だけで、裏道、小路は雑草に浸食され家々の敷地境界も判然としない。真新しい舗装路は防潮堤工事のための車両の通路になっていて、ダンプカーやコンクリートミキサー車が行き交っている。類を見ない高さでいかにも頑強そうな防潮堤は、禍々しい災害を呼びこんだ海を完全に遮蔽しようとしているのだ。したがって新造された漁港に行かなければ海原はいっさい見えない。

防潮堤は浪江町だけを守ろうとしているのではない。封鎖されている双葉町との境界を超え、ずっと南へ続いているのだった。浪江町を後にして海岸線沿いを北上すると、こちら側でも防潮堤の工事が続けられていた。ほんのわずか砂浜が見えたかと思うと、また防潮堤が視界を遮る。これを羹に懲りてなますを吹くと笑う気持ちになどなれるはずがない。いきなり人生を破壊された人々は、2011年3月11日時点に大規模な防潮堤があったならと思っているだろう。津波は波ではない。海が高さを増し陸を飲み込むのだから巨大で頑強な壁が必要なのだ。地上は水深10数メートルの海底になったのだ。仮に10年以内に津波が発生しなかったとしても、次の10年、100年先に未曾有の津波がこないと誰も断言できないのだから、今つくらなければならないのだ。異質で周囲と調和しているとはお世辞にも言えない防潮堤だが、やがて目がなじみ頼もしさの象徴になるだろう。これから生まれてくる人たちにとっては、これがふるさとの日常の風景になるのだ。

福島県のほとんどの地域は、311を知らなければ震災の一次被害、二次被害を被ったとは連想されないあたりまえの日常がある美しい土地だ。しかし震災を知っている者にとってはいたるところに傷跡やかさぶたが見つかり、この世の不条理をいろいろ考えずにいられない。ぽつんと取り残された更地、やけに真新しい建築、壊れたままのもの。私を通り過ぎて行く福島の人々はやさしく、土地の言葉は耳に心地よいが、きっとこの人たちもまだ心にかさぶたが残されているのではないか。そして人は何もかもそれぞれで、それぞれの震災後を生きている。これらは甘い辛いを取り混ぜた現実で、この現実に私は旅をもって触れているのだ。遠さを克服しつつあってほしい。

写真を撮影し、撮影データをチェックしていとき、幾カットかを意思を強く持って消し去った。写真家にとって、仮にピンボケだろうと手振れしてようと撮影したカットはすべて命の時間と同じ価値を持つものだから、写真としてちゃんと成立しているカットを抹消したのは自殺行為に等しい。だが、破壊された家屋が大きく写り込んでいるカットや主題中の主題になっているものは、持ち主の悲しみや絶望を増幅させ、撮影地点を故郷にしている人の気持ちも弄ぶ可能を感じたのだった。しかし、事実を率直に記録する意義もあるかもしれないと、強固なはずだった意思がぐらぐら揺さぶられるのも事実だった。

したがって今回の写真は、平時に他人の家の中を無許可で撮影しないのと同様に家屋は外観だけ撮影している。また、連作「海景」と同じ気持ちで撮影し、画像化している。無意味の美しさだけ抽出したつもりだ。したがってなんらかの事情、意図などを説明するための写真ではない。折々、時事刻々に変化する私の視線に基づいた写真なのだ。

このように思いながら、旅は続く。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

 

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