311への旅 福島県(相馬市、南相馬市、浪江町)準備

(311への旅 鹿島灘 3カット)から続く。

2017年10月中に福島県を訪ねようと考えていた。しかし、いっこうに心が定まらず旅程を決めかねている。私は悲劇を増幅した写真を撮影したい訳ではないし、希望を過剰に演出したい訳ではない。こうした大きな声で騒ぎ立てる写真ではなく、親しい人に静かに語りかける口調の写真を撮影しようとしている。ではなぜ「311への旅」なのか。私が祈りたいためだ。祈るためには本当の(すくなくとも私にとって本当の)東日本大地震を直視しなければならない。祈ることを、過剰に演出したくないのは前述の通りである。これらを誰かに利用されたくもない。考えるまでもなく、すべて困難なものばかりだ。

「311への旅」ではロケハンは行わない。この一連の撮影では先入見をもとに撮影場所を探すのは違うと私は思っている。しかし、その場所で何が起こったかにはじまり、その場所にどうやって入るかまでは事前に調べなければならない。私は航空写真を使って概要を掴むことにしている。まず、浪江町がWEBページに掲載している帰還困難区域および旧居住制限区域と旧避難指示解除準備区域の地図を頭に入れた。次に、浪江町に航空写真の座標を合わせた。これだけでざわざわと気持ちが波立ち冷静さを保てなかった。福島原発から最短で4kmの距離にある浪江町だが、おおよそJR常磐線の線路の海側が旧避難指示解除準備区域、山側へ常磐自動車道までが旧居住制限区域、さらに内陸が帰還困難区域のままである。これは原発事故由来の放射性物質を含んだ大気の流れをトレースしたものと一致している。

旧避難指示解除準備区域は名称に「解除」が含まれ、旧居住制限区域とともに除染とインフラの整備が終了しているが、津波被害によってほぼすべての建物が破壊されている。インフラ整備は道路の復旧など最低限な生活基盤の復旧を意味し、私たちが日頃イメージする「インフラ」と明らかに別世界の様相である。そして、いまだに帰還する人はいないようだ。旧居住制限区域は比較的内陸であるため津波の被害はすくなく市街地であった様子を残しているが、旧避難指示解準備区域同様に帰還する人はほとんど存在しないようだ。まるで戦火によって破壊され原野に戻ったような区域と、ただただ人の気配だけがない区域なのだ。私は自分と写真を見る人の気持ちをいたずらに煽ろうとしているのだろうか、と自問自答せずにはいられない。

この問いは「311への旅」を撮影しはじめた当初からのものだが、より深刻に撮影の意図を考えなければならなくなった。私は同時代を生きる日本人として、東日本大地震を直視しなければならない。聞いて知った内容を、あたかも自分が手づかみしたかのように誤魔化してこれからの人生を生きたくない。人は体を動かし何かを組み立てる作業を通じて、はじめて思考が正常に働くようにできている。それが私にとっての写真である。と、言いながらまだ心を整理しきれず天気の長期予報を見つめ続けている。

 

Fumihiro Kato.  © 2017 –

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