日乗 / 海景 涅槃前

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1.
海を撮影したいと思う気持ちの根底に、九歳までの三年間ほどを過ごした新潟市小針で得た強烈な体験がある。新潟は海岸から標高差が乏しいまま平地が連なり、陸のはじまりからしばらく砂地だ。この砂っぽい陸地は海抜0mどころかマイナスの場所も存在している。私はゆるやかで長い坂を昇って、自転車で海に通ったものだ。だらだらと微妙な勾配をのぼりきったところに防砂林があった。海と陸の境界は波打ち際なのだろうが、当時の私は防砂林の内と外に世界が区切られていると感じていた。海は異界であった。

防砂林の中から砂丘様の浜にかけて、錆びて朽ちた大きな機械があった。これらの幾つかは、かつて(といってもいつの時代のものかわからないが)石油の掘削や汲み上げに使われたものであった。どれほど知られているかわからないが新潟は産油県である。もしくは産油県だった。こう言えば、どのような機械か見当をつけてもらえるのではないかと思う。防砂林、砂丘、錆びた機械、ハマヒルガオ、真一文字に連なる波打ち際、日本海、水平線とこれらが織りなす風景は巨大で、細部にいくつもの異なるディディールが存在した。この果てを知らない巨大な風景こそ、私の視覚にとっての原体験である。あまりに強烈な印象であったから、いまだに幼少期三年間に得た体験を反芻しつつ写真を撮影したり文章を書いている。

では幸せな記憶かと問われたら、否と答える。広大すぎる砂丘と海と空は恐怖でもあり、同時に居心地のよさもあるという不可思議な記憶となって私の心の中にある。

2.
私にとっての海は、人の気配や痕跡がある無人の海だ。誰かがはるか遠くにいたり、人がまったくいないにもかかわらず、気配や痕跡だけがある故に海は孤独な場所であり、寂しさや恐ろしさに満ちている。海に飲み込まれ深海に沈みゆく自分を考えざるを得ない場所でもある。

あるとき新潟の海に続く砂丘で玩具のトランシーバーのスイッチを入れると、漁船からの通信が飛び込んできた。だが砂丘の向こうに広がる日本海には、水平線まで目を凝らしても船は一隻もなかった。なのに、声は届いている。いま思えば、この体験は私が死を自らの感覚として納得した発端だ。

斯様に、海を見ればあの世とこの世の境を考えざるを得ない。陸はこの世であり、海はあの世だ。波打ち際は、この世とあの世の曖昧な境界と言えよう。私はこの世の象徴と言える陸または浜から、あの世の象徴もしくはあの世そのものである海を撮影する。涅槃へ続く光景を撮影する。これが私の「海景」である。

 

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Fumihiro Kato.  © 2016 –

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